M.P.フォレットの思想


    M.P.フォレットは、 P.F.ドラッカーより「マネジメントの予言者」とも表現をされています。彼の「マネジメント ━課題(TASKS)・責任(RESPONSIBILITIES)・実践(PRACTICES)」(1974年)では、以下のように取り上げられています。

 『メアリー・パーカー・フォレット(1868-1933)とチェスター・バーナード(1886-1961)という二人のアメリカ人は、組織内の意思決定過程とか、『フォーマル』組織と『インフォーマル』組織との関係とか、経営者の役割と職能とかを最初に研究した。』(P39)

 

 また、社会構成主義の第一人者のガーゲンにおいては、

 『ある人の仕事に意味を与えているのは、その人個人ではなく、環境の力でもなく、この《日常的な》一群のやり取りに参加することである。』とあり、その注釈(6)として『組織研究分野において、組織の満足は構成するメンバーの心の中ではなく、関係のプロセスから生まれることを最初に示した人物として、メアリー・パーカー・フォレットの名前を挙げておかなければならない。(ボーリーン・グラハムのMary Parker Follet, Prophet of Management (Frederick, MD: Beard, 1995)』と提示されています。

 

参考)

「関係から始まる ━社会構成主義がひらく人間観━」 ケネス.J.ガーゲン著 

 鮫島輝美・東村知子訳 (株)ナカニシヤ出版、2020年9月     (第10章 組織(P384・P420))

 

 

「キャリアカウンセリング型組織開発®」では、1920年代のM.P.フォレットの思想も参考にしています。

 

「個人、組織、社会の関係をすべてプロセスとみなすことにある。すなわち、個人が他者との相互作用を通して組織という社会過程をつくり、さらに組織と組織、個人と組織のそれぞれの相互作用の中で社会ができるというように、「個人―組織―社会」と連なる動態的プロセスとして三者の関係を捉えている。」を理論的な基礎としています。

 その中では個人毎の経験に基づく組織に内における相互作用における軋轢(コンフリクト)をどのように統合するかが重要になるとされています。この課題を現代において解決するにあたっては、次のように考えています。

 「社会構成主義」に基づいた「対話型組織開発」において、「傾聴とリフレクション(経験代謝)」による「キャリアコンサルティング」を対話の軸とし、組織の改善を目指すこと。(プロセス・コンサルテーション)。

 具体的な進め方の想定としては、最初にリーダーの組織目的をナラティヴとしてメンバーに伝達し、それを受けてメンバーからよりもリフレクションとして、組織目標を念頭に置いてより良いキャリアの実現の為にどうしてゆくのか、ナラティヴやディスコースの集約を行います。これらを更に組織やリーダーを含めた組織環境全体への働きかけが行います。このように組織内のナラティヴ・ディスコースの変化を起こすことにより組織の変革につながり(ブリーフセラピーを活用したダブル・ループ学習の実現)、その結果として組織全体の活性化が進むことになります。

 (以上のフォレットの思想に準拠した基本的な考え方は意識マトリクス理論にて概念化することが出来ます。(参考)

 


 「創造的経験」についても参考にして頂くとして、以下に日本ではこれまでどのようにM.P.フォレットの思想が経営学の中で取り上げられ来たかをまとめています。

 高宮晋「経営組織論」と占部都美「近代管理論」から取り上げています。


 高宮 晋 著 「経営組織論」 昭和36年(1961年)6月 初版発行 昭和48年(1973年)8月 29版 ダイアモンド社 発行より

(権威の性質の第2節で、バーナード「協働システム」と第4節のサイモン「意思決定過程」の間に置かれています。索引にも明記されています。)

 

『第三章 経営組織構成の原理

第三節 職能を中心とする見解

 第3の見解は、職能を中心とする見解である。それは究極的権限(final authority)、権限の委譲を中心に考える見解に対立するものである。第2の見解は人間関係における受容の観点からこの権限中心の観点を批判したものであるが、第3の見解は、職能という基調からこれを批判する。フォレット(M.P.フォレット)は次のごとく言っている。

 「究極的権限(final authority)は幻想である。各人それぞれ職能(function)を持っている。科学的に管理されている経営においては、調査と科学的研究によって職能が規定されている。各人は彼の職能(function)ないし仕事(task)とちょうど同じだけの━それよりも大きく小さくもない━責任(義務)(responsibility)を有するべきである。彼は責任(義務)とちょうど同じだけの━それよりも大きく小さくもない━権限(authority)を持つべきである。経営組織においては職能(function)、責任(responsibility)、権限(authority)は三位一体となっているのであって、密接不離の関係にすべきである。」ここでは職能が決定的要素である。‥‥‥‥究極的権限があり、それが漸次委譲されてゆく「権限の委譲」はここではあり得ない。(P42-43)

 「職能・権限・責任は組織計画(plan of organization)の中に内有されているのである。組織計画においてまず職能定められ、それに対応する責任と権限が定められるという考え方である。組織の本質は、職能・権限・責任の交織(interweaving)である。」

「権限が人間活動を調整するのではない」「正常なる権限は調整から導き出されるのであって、調整が権限から導き出されるのではない。」

 調整は本来職務上の調整であって、職能の体系に基づいてなされうるものである。‥‥‥‥この交錯した職能に対応して、累積的な責任(cumulative responsibility)が形成され、更にこれに対応して、累積的な権限(cumulative authority)が形成されている。ここに存在するものは、究極的権限(final authority)ではなくて、交錯した職能に対応して、積み重ねられた権限である。(P44)

 「組織の最も良い方法は、究極の権限の為の場所を細心に論理的に作り上げることではない。それは累積的な責任の為の可能性を提供するところのもの、経営に実際に存在しているすべての責任事項を結びつけているところのもの、各人、各グループの責任事項を交錯された職能体系(system of cross-function)の形成によって、より能率的に運行せしめるところのものである。」ここでは、組織の本質は交錯された職能体系と考えられている。組織の構成原理は職能の体系化と言うところに求められている。

 

参照:M.P.Follet:Dynamic Administration 1947年 (P147/P149/P150/P159)』

 

 ちなみに、大雑把に要約をすると、バーナードは協働システムの観点から権威は最終的には部下に「受容」されるもの、サイモンは個々の限定的意思決定能力を補完する為の権威の性質として「意志決定過程」において権威が発生するとされています。

 フォレットは、組織全体がその状況(環境)に適応する為に権威が発生するが、その適応については部下も認識出来るものとしています。つまり、そこには権威による葛藤が生じないという考え方です。


占部 都美 著 「近代管理論」昭和56年(1981年)2月 白桃書房 発行より

 (残念ながら索引には提示されていませんが、下記のように著されています。)

 

 フォレットは、「一人の人が他の人に命令を与えてはいけないのであって、両者は情況(situation)から命令を受けることに同意しなくてはならない」と述べている。経営者は、情況によって与えられる命令を受容するのであり、従業員も、同じ状況から与えらえて命令を受容するのである。だから、情況の法則(the law of situation)を発見し、命令を非個人化することによって、命令は従業員にも人格的な屈辱感なしに受容される。科学的管理法は、時間動作研究を通じて、作業標準の設定についてこのような「状況の法則」を発見することを企図したものである。

 フォレットの説によれば、命令は変化する状況の一部であるときに、その権限は受容される。つまり、情況の権限(the authority of the situation)のみが真の権限であると解釈されている。従って、権限が受容される為には、「状況の法則」の発見が必要であり、その為には管理者と部下の間に、情況に対する共同研究の態度がとられることが良いとされるのである。

参照:M.P.Follet: Dynamic Administration, ed. by Urwick  and Metacalf 1940年 (P59)

 

《参考》

『バーナードのように権限受容を個人的な条件を強調するにせよ、あるいはフォレットのように権限受容の非個人的な条件を重視するにせよ‥‥‥‥組織における権限の条件としては不安定である。‥‥‥‥バーナードの権限受容の理論は、次に述べる権限の客観的側面の裏付けによって、はじめて、現実的な理論にされるものであることを注意しなくてはならない。』

【参考:指示における無関心層】


 フォレットが「創造的経験」(1924年)を出版した当時、つまり、1929年の大恐慌前の景気絶頂期の全体の雰囲気としては、「オンリー・イエスタデイ」で次のような記述がみられます。当時から、本質主義的なものから社会構成主義的な考え方へ動き始めていたことが感じられます。

 

「・・・彼ら(知識人)の中の若年層は実際にフロイトにの心理学を愛好していた。また、多くに知識人は、ファンダメンタルという言葉が新造されるずっと前から、新しい科学的知識の帰結として、不確定性の問題について考えていた。」

 (九章 知識人の反乱 P304より)

「大量生産と機械文明がアメリカ文化及び自分自身に与えた影響を彼らは恐れていた。また、彼らは、フォード主義とチェーンストア的頭脳によって単調に平均化された文明の中で、自分たちの権利を守るために、最後の土壇場で戦っているのだと思っていた。」

 (九章 知識人の反乱 P315より)

「(年長で賢明な)これらの知識人たちはまた、科学的真理と科学的方法とを信じていた。」(P319)

「生活の中から確信が失われた。更に悪い事には、確信は科学それ自体からも離れ去ったのである。かつて神の秩序を否定した人々は、まだ確実な自然の秩序に依拠することが出来た。だが今ではそれさえも揺らいでいる。アインシュタインの相対性原理は、新たな不確実性と疑念とを導入した。かくて、確実なものは何もなくなり、人生の目的は発見できなくなり、人生の終焉はまた更に発見しにくくなった。こうした霧の中に閉じ込められていては、人間がそれに依拠し、これこそ実在するものだとか、これは持続するだろう等と言う事が出来る確実なものは一つもなくなったのである。」

(九章 知識人の反乱 P320より)

 

参考) オンリー・イエスタデイ F.L.アレン著 藤久ミネ訳 株式会社筑摩書房 初版1986年12月 1998年6月文庫版第3刷