組織の歴史と組織論の歴史


(イントロダクション)

 組織の歴史と組織論の歴史について振り返っておきましょう。

 現代では社会システムの逆機能が強く働いた結果、社会構造の問題として日本(世界も)難しい方向に向かっているように感じられます。この問題に対処する為には、個々の組織において科学的組織論に基づいたマネジメントが行われて、その結果として社会全体が改善に向かうように、社会人の為の組織論が幅広く提供されなければならないと思っています。

(参考:ドラッカー「マネジメント」)

その基礎的知識として、「組織の歴史と組織論の歴史」についてまとめています。【 】内は追記。

 

★全体の要点をまず理解しやすいように整理をしておきます。 

・組織は協働(Co-operation)が行われる人間の集まりと言えます。

・組織論において、定義としては、観察される「協働(Co-operation)」行為が現実・実態(Reality)であり、協働がうまく働くことにより社会もうまく行くと考えられますので、「協働」が組織論の対象となります。

 これに対して「組織(Organization)」は、協働が行われる場所としての概念(Concept)であり、組織論では「協働」行う為のツールとしての位置づけになります。

 

・組織の歴史

              *協働は、人類の発祥とともに古く、普遍的であり不易といえます

*但し、協働は、先史時代・有史時代・歴史時代を通じて、協働(組織)は変遷してきました。つまり、時代によって異なっていると言えます。
*社会科学は、この「不易流行」を研究する学問と言えます。

*近代以降、「社会の身分」から「機能による分化」への移行に伴い、社会における組織の一般化・普遍化と大規模化が起こりました。(大部分の人々にとっても、組織の中でのキャリアが身近なものになりました)

*産業化社会においては、代表的組織である企業の著しい大規模化と質的変化が進行し、社会におけるその重要性が増しました。人々の生活そのものや収入も大きく企業に依存し、その重要性が大きくなってきました。一見、組織とは関係がなさそうな農業部門などでも、企業との関わりなく、生活を送ることは難しくなってきました。 

・組織論の歴史

*古代・中世においては、特殊な分野(軍事・宗教・行政)における組織についての考察が存在しました。

*近代になって、大規模化した組織についての組織論=官僚制論が登場しました。
官僚制とは、近代における独特の組織であり、現代にも残っており、社会における問題を作っている面があります。

*産業化によって生み出された大規模な企業における人間の活動(協働)を対象とする学問として経営学が誕生し、経営学の一部門として、組織論が登場してきた。

*(産業化以降の)近現代の組織論は、古典的組織論から近代的組織論に移り変わってきました。

【これに伴って、組織内におけるキャリアに対する考え方も変わってきました。】


【第1回】

 1.本格的組織論(Genuine Organization theory)とは

  組織論が本物かどうかは、学問的基礎(academic basis)に基づいているかどうかが重要なポイントになります。現在は残念ながら学問的基礎に基づかない流行的な組織論(すぐ役に立ちそうな情報)がメインとなっている状況にあります。

 残念ながら、逆に本格的に組織論を学ぶ機会はなかなかなくて、減ってきてしまっています。

 

2.現代人の教養としての組織論

  学問は、学問(Scholarship)を行う学者(Scholar)、科学(Science)を行う科学者(Scientist)、研究(Research)を行う研究者(researcher)に分かれますが、組織論は現在のところ残念ながら研究者の主張が主流となる学術分野になってきている感もあります。

  一方で、組織社会の中で生きている現在の社会人は教養(リベラルアーツ)として組織論を学ぶ必要があると考えています。教養とは、現在軽視されつつありますが、「学問的知識などによって養われた品位」をもたらした文化に関する広い知識など「教育・勉強などによって蓄えられた能力知識」を指します。学問・職業等で、その人がもっぱら研究したり従事したりする専門性と合わせて、バランスが取れた「健全な全人性」をもたらし、事実的価値的に正しい意思決定を行うことが出来るようになります。

 

 組織論を考える為には、その「公準」を把握することが大切です。「公準」とは、「ある論理的実践的体系の基礎的前提として指定せざるを得ない命題です。一方、「公理」というものもありますが、こちらは「同じく証明不可能であるが」前提として導入される最も基本的な仮定のことです。公理が「自明である」のに対し、公準は「仮定的」ということになります。

 

  例えば、古典派経済学、新古典派経済学の公準として「経済人仮説」があります。

 「人間は、自己の経済的利益を最大化するように、行動するものである」というものです。つまり、新古典派経済学上では、「人間は損をするような行動をとらない」というのが、公準となっているのです。そこから「経済人は、もっぱら「経済的合理性」にのみ基づいて、かつ個人主義的に行動するものである」という事になります。つまり、経済人は常に「利他的な行動はしません。この前提から経済学の理論的構築がなされており、「市場の自由競争」によって、経済の最適状態が実現されるという理論になっています。

【この理論上の公準が社会規範のように捉えられて、社会における個人の行動規範であるかのようにディスコースが形成されるのは本末転倒とも言えます。逆に、2020年のコロナウイルス危機のように社会機能が重視される場合は、この規範が雲散霧消してしまっているように見えるのは興味深い事です。】

 

 組織論の公準は、「現代社会に生きるすべての人間は、組織となんらかの関連性を持っている」というものです。つまり、現代人はみんな組織の恩恵や影響を受けているという事です。

  第二次世界大戦以降の現代社会においては、大規模産業化社会・情報化社会、大衆社会(マス社会)となり、組織社会(Organization Society)となっています。この組織社会においては、「組織論は一部の人が学ぶ専門分野ではなく、すべての人が学ぶことが必要な学問分野」と言えるでしょう。組織論の対象は、「社会現象の一種としての組織現象(Organizational Phenomena)」と言えます。

 

3.人間の為の組織

  では、組織は何の為にあるのか?組織は誰の為にあるのか?という視点で考えてみましょう。

 「私は組織の隸(しもべ)、歯車だ」という話も聞きますが、どうなのでしょうか?

  現代の巨大組織(Mega Organization)については、二つの側面があります。

  ひとつは正の側面(Positive Side)です。組織は、「目的を有効かつ能率的に達成する為の手段」と言えます。つまり、人間の為の組織です。一方で負の側面もあります。人間の不幸を生み出す元凶となっていること部分があることも事実です。特定の個人/集団の「権力増幅装置(凶器)」となっている面もあります。例えば、戦争を行う際に利用される巨大組織等の例です。また、「組織における人間性の疎外」等の課題もあります。この結果、「人間が組織を使う」ことが主客転倒してしまい、「人間が組織に使われる」つまり「人間が人間らしく生きられない苦痛」というものが生じてきているのも事実です。

 

 組織は小規模な「人間の為の組織」として出現しますが、大規模化つまり組織成長(Organization Growth)の結果、「組織はある日突然ひとり歩きを始める」ことになり、コントロールが難しくなり、巨大なモンスター化した組織の暴走が起こる事にもなります。ここに現代人が組織について学ぶ理由があり、「組織は人間にとって極めて有用なものであるとともに、非常な危険性を含んだもの」となってしまう可能性もあるということが挙げられます。

現代人にとっての課題は、組織をコントロール(制御)し、人間(人類)の為に活用する事だと言えます。

 

 【第2回】

4.人類とともに古い組織

  組織論の「組織」は概念(Concept)であり、「協働の科学」の「協働」は現実/実態(Reality)であり、両者は少し異なります。組織論の対象は「協働」(Cooperation)という社会現象ということになります。

  組織はつまり協働ともいえますが、これは人類の発祥とともに古いものと言えるのではないでしょうか。それから現在まで、組織は社会が存在するところにはどこでも存在する「普遍的現象」(Universality)ともいえるものです。学問の対象としての「協働の科学」は、知の体系と言えます。つまり学問の対象となりえるものであり、命題として「科学的解明」が求められているとも言えます

 

5.歴史(的視野)

  組織(Organization)は協働(Cooperation)作業の行われる場であり、両者は類似しています。協働は先に述べたように現実/実態(Reality)・事実(Facts)ですから、それらを抽象化して論じたものが組織論(Organization Theory)というものになります。

 そして「組織の事実としての歴史」と「組織論の歴史」は密接に関係したものです。

 

 組織は、「社会科学」の領域という事が言えます。つまり、社会現象として捉えて、歴史的に位置づけて把握することが大切になります。「歴史の中に置いて見る」という事が大切になります。

  組織現象は、協働現象の現実・実態・事実(過去も含めた)を把握することが大切になります。歴史的な位置づけとしての認識を欠いた組織論は空理空論になってしまう危険性を孕んでいます。また、逆に理論を欠いた現実・実態・事実は単なる記録となり、組織論とは一線を隔します。

 

1) 歴史とは何か
 歴史(History)とは「人間及び人間が属する社会・自然に関する過去の経時的事象の変遷の経過」と言えます。D.リースマンの人間の社会的性格に関する分類『孤独な群衆━変わりゆくアメリカ人の性格1950』では、アメリカ人の性格志向を歴史的視野で捉えて、「伝統志向型」から「内部指向型(ジャイロスコープ型)」、次に「外部志向型/他人指向型(レーダー型)と変遷する事が示されています。
 歴史学/史学(History)については「文字情報によって記述・記録された資料に基づき、過去の時間経過に伴う人間及び社会に関する事実の変遷を分析・体系化する学問」と言えます。

 

歴史を学ぶ意義 

  歴史を学ぶ意義は、人間及び社会の経時的変遷、つまり過去の歴史的事実に見られる法則性の発見という事です。見る人が見れば〈=歴史学者〉見る事が出来る法則性という事になります。

   歴史科学(Historical Science)≒社会科学、 

 人文科学(Humanities/Cultural Science)は、過去の歴史的事実の推移から、現在を解釈し説明する学問と言えます。

 

 ex)1929年の大恐慌では、大暴落から大恐慌が始まってゆくのですが、経済学者はその時点の経済統計から空前の好況持続を予測していましたが、一方で歴史学者は、チューリップバブル・南海バブルやミシシッピーバブルを踏まえ、バブル崩壊を予言していました。エコノミストは統計で物事をみる事が多くなります。恐慌等についても、統計的に分析しその時点での結論を出します。経済史の研究者からはチューリップバブル等同様の恐慌は歴史的にも繰り返されるのでバブル崩壊を予言していましたが、エコノミストの分析の中では、そのような意見は少数派になっていました。

 

 【第3回】

まずは前段としての説明になります。 

科学の3分類
 科学は歴史的な発展の経緯も踏まえて3つに分類されます。

        人文科学

 対象:人間性

   この否定として

    自然科学
対象:自然現象

  上記を準用(自然科学的方法による社会現象の究明)し、
③ 社会科学
対象:社会現象

 

 人文科学で用いられる

「形而上」とは、

「形がなくて、感覚ではその存在を知ることが出来ないものの、時間・空間を超越した抽象的・普遍的・理念的なもの」

「形而上学」(ラテン語metaphysicsの訳語)とは

   事物の本質・存在の根本原理を思惟や直観によって探求する学問

  「形而下」とは

    形を備えて感覚によって知ることが出来るものの、自然現象や社会現象などの時間・空間のうちに形をとって現れるもの

 

科学史について

 古代
形而上学・形而下学の哲学

 中世
宗教の時代であり、科学は停滞
 

 近代
科学の時代で「自然科学」から「社会科学」へ、また、科学の専門化が起こり、科学が大きく進歩しました。但し、社会科学の実践への応用の為には、全知全能の人間が前提条件となってしまっており、「文理融合」した総合的な実践が難しくなっている面があります。
本格的組織論は、社会科学で用いる概念・方法等の社会科学の基礎知識に基づいて成り立ちます。

 

ここから、本題に入ります。

 

Ⅰ.社会現象としての協働

  協働とは、組織現象の具体的な現われという事が言えます。社会現象としての協働は社会科学の対象となります。社会科学の独自性とは、社会的相互作用である人間と人間の相互作用(意図と意味に対する対応)を解明することにあります。

 社会現象を解明するために必要な基礎的な概念について、まず説明します。

 

1.人間の活動━行為と行動

 まずは、人間の活動を概念でなく基準で捉えてみたいと思います。

 人間の肉体に対して、人間の活動(Human activities)を行為(act)と行動(behavior)としてまずは捉えてみます。

 まず「行為(act)」ですが、「活動を内省・内観(Introspection)によって把握して時に得られる概念」と定義づけされています。つまり、個人の主観から見た行動といえます。または、頭の中に形成されるイメージ(concept)とも言えます

それに対して、「行動(behavior))」は、活動主体以外の他者より「活動を外部観察(observation)によって把握した時に得られる概念」と定義づけされています。つまり、人間の活動の内、観察可能な表面に現れた部分、表出された活動を客観として捉えたものと言えます。但し、あくまで他者がその主観によって捉えたものと言えます。これらの詳しくは行動科学・組織行動(organization behavior)の範疇になります。
  ex)行動科学(Behavioral Science)では、「行動」の概念を用いて、人間の活動を解明するものという事になります。

 

 行為論については、人間の行為を個人(的)行為と社会(的)行為にわけて把握します。また、人間の行動も個人(的)行動、他者との相互作用を持たない行動(personal behavior/private behavior)ex読書)と、社会(的)行動(social behavior)「他者との相互作用の一部となっている行動」に分けられます。こちらの例としては、「喧嘩」と「キャッチボール」が挙げられます。但し、「喧嘩」は通常に相互の共通の目的がなく、「キャッチボール」にはボールをやり取りするという「共通の目的」がありますので、「キャッチボール」は組織行動という事が出来ます。
 人間活動は、行為と行動に分けられますが、科学的分析の見地から行動は、個人的行動と社会(的)行動に分けられます。
 社会的相互作用に組み込まれた諸活動、社会的現象ともいえますが、そのひとつが組織論になります。また、社会関係には、相互作用としてのパターンを見出だすことが出来ます。そのパターンを社会構造といいます。その社会構造を変える事を社会改革(Social Change)、組織を変える事を組織変革(Organization Change)と呼びます。社会構造の中で協働が行われている部分の分析を組織論では行います。

  

2.人間と人間の相互作用 

 「相互作用(Interaction)」とは、まず物と物との相互作用と人間と人間の相互作用に分けられます。
物と物との相互作用とは、物質的・物理的相互(Physical Interaction)作用と言え、自然現象(Natural Phenomena)になります。これらは自然科学の対象となります。ここには、人間と物との相互作用、例えば人間と機械の相互作用も含まれます。
他方、人間と人間の相互作用は社会的相互作用(Social Interaction)と言え、社会現象(Social Phenomena)と呼ばれます。社会科学(Social Science)の対象となります。
 社会的相互作用とは、人の人との働きかけと対応であるとも言えます。また、人の意図(Intention)と意味(Meaning)に対する対応とも言えます。これは、ダイアディックモデル(Dyadic Model)つまり人関係モデルと言われ、社会の最小単位である自己と他者の二人(dyad)からなる社会()関係モデルとなります。これは、自然科学的方法では解明できない側面であり、社会現象を対象とする社会科学に固有の側面と言えます。
 社会関係(social relationship)とは、「人間と人間で行われる人間としての相互作用の関係、意図と意味に対応する関係」と言えます。
 社会構造(Social Structure)とは、社会において観察されるある程度変化しにくい一定のパターンと言えます。例えば上司部下の関係においては、命令・指示・報告、権限関係が見られます。
「協働(cooperation)とは、複数の人間が共通の目的を達成するために協働する事(努力を結合する事)」と定義されます。この人間の活動は、人間の行動に含まれ、大きくは社会(的)行動につながり、社会現象となっていきます。
 「社会現象」とは、協働現象≒組織現象と非協働現象≒非組織現象(つまり対立)に分けられます。組織現象では「協働」が行われ、「組織論」の対象となります。

 

 Ⅱ 組織の歴史(≒協働の歴史)

 1.時代区分

時代区分は以下のように分けられます。

(1)   先史時代(Prehistoric Age)
 人類(現生人類)の発祥から原始時代。
 文字が生まれる以前の記録に残っていない時代を指します。主に考古学の領域になります。考古学は、主に遺物遺跡などの物質的資料を用いて、過去を探求し、当時の文化や生活様式を知る学問です。

(2)   有史時代(Historical Times)歴史時代
 文字として記録が残り、把握が出来る時代になります。主に歴史学、史学の領域になります。歴史学は、文字による記録=史料を基本的材料として過去の人間生活の諸現象を研究する学問です。
 有史時代は次のように分けられます(西洋史の三時代区分法)。古代(文明の成立から古代文明崩壊まで)、中世(封建制社会)、(近世)、近代(市民社会・資本主義社会)と1945年以降(第2次大戦終結から現在まで)を指す現代です。近代の一部を含めた近現代という把握のしかたもあります。

 

2.先史時代の協働
 極めて小規模で原始的な協働が始まります。狩猟採取社会の中で協働に近い協力が行われていました。「原始共産制」とも言えます。次いで、農業をベースとした農耕・牧畜社会へと進んでゆきます。この時代になると、狩猟採集や農耕牧畜の為の協働が社会の中で見られるようになります。「原始共産制」から農耕社会への進化により、社会にあるものが生まれます。それは「貧富の格差」が生まれたという事です。原始共産制では人々は獲物を原則分け合っていましたが、農業時代になると土地の囲い込みやそれを巡る争いが見られるようになります。「原始共産制」とは、1877年にL.H.モーガンにより「古代社会」の中で示されますが、F.エンゲルスの「共産党宣言」によって定着した概念です。これは、マルクス主義(唯物史観)の発展段階思想に影響を与えました。

 

 これに対して、W.W.ロストウは、1960年「経済成長の諸段階━一つの非共産党宣言」中で、別の社会発展思想を示しました。5段階説と言われるもので、
A
.伝統的社会(王侯は豊かだが、一般人は貧しい時代)

B.離陸(Take Off)先行期

C.産業化期 先行離陸を踏まえて、社会は産業化します。

この産業化により、大きな組織変化が起こり、組織の中の社会が誕生していきます。これを組織論では対象としてゆきます。

D.成熟期(を経て)

E.高度大衆消費社会 

 今の日本もそうですが、貧富の差があるとは言え、一般の人々も昔であればある意味で王侯のような生活を送れるようになっているとも言えます。

 

3.古代の協働  

この時代になると比較的大規模な協働の痕跡が見られるようになります。

・古代エジプトのピラミッド(紀元前2700250年)
 ナイル川西岸に約80基が現存します。古代エジプトの王・王妃・王族の墳墓と言われており、大きな協働作業の成果としてみる事が出来ます。

・古代中国の万里の長城
 春秋戦国時代(紀元前770430年頃)約360年の間に建設が開始されます。それぞれの小国が北方民族の襲撃に備えて築かれましたが、まだ切れ切れの状態でした。
 

 秦の始皇帝時代(在位紀元前247年~210年)に増築され、細切れだった小国の土塁がつながれます。

明代(13681644年)に煉瓦作りとなり、全長2400km、高さ6m、幅上部4.5m基部9mの万里の長城が完成します。

・古代ローマのコロセウム(紀元前80年頃)

 古代ローマの円形競技場で、収容人員5万人ほぼ現在建設中の国立競技場と同じ規模のものが、
  約2千年前に、人間の協働の結果として誕生しています。

・日本でも、古代日本の古墳(紀元3世紀の半ば過ぎ~7世紀末頃)
 
仁徳天皇陵は5世紀半ばに築造されます。全長486m、後円部径250m、前方部の幅350m、高さ35mという大きなものです。ものすごい労力だと思いますが、明治時代の女性でも6300kgの俵をかつぐ女性の写真が残っています。人力車でも馬並みに早かったとの記録も残っていますので、当時の人間の身体能力は我々の想像以上のものだったかも知れません。

 

4.古代~中世の代表的な「組織」としては、ある程度「公式化」された組織、我々が現在○○組織と呼んでいるものに近い組織が誕生していました。 〖順応型(アンバー)組織〗

   ・行政組織(administrational Organization)が、古代ローマ(都市国家)からローマ帝国(領域国家)などで、統治を行うための組織として誕生していました。 

   ・軍事組織(Military Organization)は、古代ギリシャの都市国家(ポリス)にて既に誕生をしていました。最強の軍隊として、スパルタが有名です。

   ・宗教組織(Regional Organization) カトリック教会やローマカトリック教会が有名です。

  これらの協働現象は、近現代へと引き継がれてゆきます。

 

 行政組織の変遷

古代~中世;政治=行政(広義)の為の組織と言えます。

近代には、行政(狭義)の為の組織に変わってゆきます。これは、立法・司法・行政(狭義)の分化(Differentiation)、三権分立の確立が影響しています。

 

      EX)

日本でも、古い行政組織の例として、江戸の町奉行があげられます。江戸幕府は老中の46名による合議制で運営されていました。その下に、勘定奉行(財政)、寺社奉行、町奉行の3奉行が確立されており、町奉行の格は高いとされていました。町奉行は、大岡越前の守で有名な北町奉行所と南町奉行所に分かれており、江戸市中の行政・司法を担当していました。ここはまだ行政と司法は未分化でした。月ごとの輪番制での訴えを受け付けて、必要に応じて裁いていました。これも日本における組織分化の事例だといえます。
 江戸幕府では、老中が立法「生類憐みの令」・行政「犬小屋の設置」・司法「赤穂事件の処罰」と分化を始めますが、町奉行では先に述べたように未分化です。


 初鹿野 伸興知恵(wisdom)
 江戸時代中期(松平定信時代)の町奉行で、浦賀奉行から1788年町奉行に就きました。初鹿野家の婿養子で「放蕩元気者」であったと言います。実父は町奉行を務めた依田政次で、江戸幕府の大目付や留守居役を歴任しています。
 「老中(田沼意次?)の奥女中がお部屋様(将軍の側室)の狂言見物にしばしば登城していることを咎め、隠居に追いやられる」等、どんな相手に対しても規則を貫こうとする姿勢が評判でした。
 初鹿野の前任の町奉行は
柳生久通 で、裁きの場である白洲で「衣紋を取り繕い候計にて、さしたる知恵も出申さず、只帳面(調書)を繰り返し詮索」「怪しからず綿密丁寧」(細かすぎて処理が遅い)と青表紙(当時の故実書・先例の事例集)に記される。町人たちも柳生に服従せず、お白洲で狼狽していることを陰で笑いものにするありさまであった。

 これに対して、初鹿野の評判は上々。初鹿野の評判を上げた裁きでは、「下町で葬式があり、誤って棺を道路に落とした。気の毒に思った近所の借家人(長屋)が遺骸を家に入れ、湯濯をして棺を繕った。それを知った大家は地面を穢したと怒り、借家人を追い出そうとした。すると初鹿野は、穢された地面ならそれは不要だろうと、その土地を借家人に与えた。」という逸話が残っています。

 

 【第4回】

1.近代以降の組織  
1)社会文化における変化
 社会分化(Social differentiation)は、社会が単純で同質的な状態から、複雑で異質的な状態に変化する事。社会分化は、社会進歩(Social Progress)と大きな関係性があります。
 
社会分化は、社会進歩に合わせ単純・同質なものから複雑・異質なものへ変化します。
 中世から近代にかけての近代化における社会分化はつぎのようになります。

 

 中世は封建社会の身分制度であり、中世の社会分化は身分(Status)を基にした社会的地位(Social status)を基準とした社会分化でしたが、近代化が進み、近代の社会分化は社会機能(Social Function)による社会分化が進みます。近代は社会学的機能主義(Sociological Functionalism)19世紀に生まれた科学的方法論(Approach)であり、機能概念や職能を中心とします。この社会分化は、中世から近代から社会構造そのものが変化したため生じたと言えます。

 

2)近現代の社会分化と組織
社会機能の分化は、対応する対応する多様な組織を生み出します。


                
機能(Function)                  :主な制度/機関(Institution/Organ

                 働き・作用
  
三権分立

                 立法                                   議会

                 行政                                   官庁

                 司法                                   裁判所

 その他

                 教育                                   学校

                 医療                                   病院

                 軍事                                   軍隊

                 宗教                                   協会/神社

                 etc                                     etc

 

                 経済                             企業

 

 

3)「組織革命」と組織社会の出現

更に、第2次世界大戦以降の近代から現代にかけては、「組織革命(organizational Revolution)」が進み、(多様な組織が存在する)組織社会が実現します。この結果、「The Organization Man (W. H. White 1956)」で示されるように、そこで働く人々の倫理観も転換してゆきます。
 組織における革命的変化、組織の普遍化や大規模化については、「組織革命」として、K.E.Boulding(1910-1993)The Organizational Revolution ~ A Study in the Ethics Economic Organization 1953に示されます。その中でもっとも代表的な経済組織(Economic Organization)は企業(Business Enterprise)であると言えます。1870年に始まった産業革命は、技術(technology)と科学(Science)の結合による科学技術を、企業が実用化することによって進みます。そしてその企業の大規模化(アメリカの大量生産方式mass-production system)によって、経済組織と言える巨大製造業や工業の企業が出現し、現在にかけて商業分野でも発展し、続いてサービス・情報産業の大規模化へと受け継がれてゆきます。
 つまり、近現代の代表的組織つまり経済組織は企業組織(企業概念と経営概念があります)であると言えます。

 

ここまでをまとめると、協働は人類発祥とともに存在した普遍的なものだと言えます。そして協働つまりそれが行われる組織は、先史から現代まで歴史とともに変遷してきたものだといえます。特に、近代以降は社会の機能分化に伴い、組織の社会における普遍化・一般化と大規模化が起こりました。なかでも産業化以降は、社会における代表的組織である企業の著しい大規模化と質的変化が進行し、社会におけるその重要性が増大しました。生活・収入も含めて、企業という組織に依存する社会へとますます変化しています。

 

 【第5回】

Ⅱ.組織論の歴史
組織の歴史に続いて組織論の歴史については、重要な文献によって概観を見てゆきたいと思います。時々の課題に対して、どのような文献か書かれてきたのかという視点が大切になります。
 近現代の組織は、社会的機能を担う多様な制度/機関で構成されていますが、代表的なものが企業になります。企業組織は、その従業員数で確認しても現代に向けてますますとんでもなく大きくなっています。その為、企業組織(Business Organization) 経営組織(Administrative Organization)が社会で大きな比重を占めるようにますますなっています。その為、近現代の組織論は企業に着目した経営学の一分野である経営組織論がその主流となります。

 

1. アメリカ企業の変遷

(ア) 前近代的企業から近代的企業へ
A. D. Chandler. Jr
 (アメリカ経営史の第一人者)
 The visible Hand ;The managerial Revolution in the America Business 1977
これは、アダムスミスが指摘したInvisible Hand(見えざる手)を意識した題名です。
アメリカの近代化は、1840年から1920年代大恐慌の直前まで続きますが、古来ずっと続いてきた伝統的企業(小規模・単純組織構造)から近代的企業(Modern Business)(大規模・複雑な組織構造)から現代企業(複数の部門・中間管理職の多い組織階層)へと変遷してゆきます。
伝統的企業では、市場の「見えざる手」により、最適な結果にむけて調整がなされていましたが、近代的企業になると企業が市場に対しての占有率が高くなる為に、経営者や経営者層による「見える手」による調整が市場において行われるようになります。
アメリカの産業化は、1843年~1860年(W.Wロストウの計量分析による)に農業中心から工業中心の社会構造に大きく転換します。その後南北戦争(1861-1865年)の中断を経た後、「金ぴか時代」1865-1890年)を迎え、高度経済成長期となり、起業者によるビッグビジネス(Big Business)が育ってきます。
1925
年から1929年の大恐慌までは、フロリダの土地や株式のバブルを繰り返した「狂騒の20年代/狂乱の20年代」がやってきます。その詳細は、Frederick. Lewis .Allen Only yesterday/An In found History of Nineteen-Twenties 1931」に示されています。
 

(イ) 組織の大規模化
 組織は現代に向けてどんどんと大規模してきます。組織成長は量的な変化と捉える事が出来ます。
これは、L.E.グレーナー(L. E. Greiner) のグレーナーモデル。組織の5段階成長モデルでも示されます。
(Evolution and Revolution as Organization’s Grow,1972)
創業時は小規模な「公式化程度の低い組織構造」から出発します。
次に大規模化が進むと
「公式化された集権的機能部門組織」に変化します。
更に成長すると
「分権的事業部制組織」へと移行します。
ついには、「硬直化した巨大組織」となってしまいます。その解決には「柔軟な組織構造」「マトリックス組織・(プロジェクト)チーム制」とも言われています。

(ウ) 集権的な組織から分権的組織へ
A. D. Chandler. Jr
Strategy and Structure: Chapters in the History of the Industrial Enterpraise,1962
1910
年から1920年代において組織構造(organizational structure)の変革がおこります。専業戦略を基にした「集権的職能機能組織」から市場環境に適応するために、多角的経営の為の「分権的事業部制組織」に移行します。
結論としては、有名な「組織は戦略に従う」という事です。組織構造は経営戦略に従うという事です。

 

2. 官僚制化
組織の大規模化に伴って、組織の官僚制化が起こります。これは、善悪ではなく法則性を持って出現するものです。

(ア) 理念としての官僚制
Max Weber
「遺稿集 経済と社会」(Wirtschaft und Gesellschaft)
部分訳「支配の社会学」
1922
年に発表された官僚制を主題とした研究
古代から近代に向けて、支配の諸類型は、古代のカリスマ的支配から伝統的支配、近代の合法的支配である官僚制(Bureaucracy)へと変わってゆきます。
ヴェーバーは近代的官僚制を中立的に適用される規則や明確化された職務権限、更に階層性の組織構造という形式合理性の概念によって特徴づけました。
官僚制は、近代に登場した精密機械のように精確に動作する人類史上最も能率的な組織、機械的組織(Mechanistic Organization)であると言えます。
官僚制の諸特徴を純粋化すると、理念型としての官僚制に行きます。

(イ) 官僚制の逆機能
R. K. Merton ; Social Theory and Social Structure : Toward the Codification of Theory and Research 1949)
組織の官僚制化は、理念に基づいた「意図した結果」(Intended effects)をもたらします。これを順機能(eufunction) と言い組織に能率(efficiency)をもたらします。一方で「意図せざる結果」(unintended effects)をももたらします。これを「逆機能」(dysfunction)といい、組織の非能率(inefficiency)を生み出します。
官僚制では、意図せざる結果としての官僚制の逆機能を伴うことになります。

(ウ) 官僚制の実証研究
A. W. Goldner ; Patterns of Industrial Bureaucracy,1954)
官僚制の逆機能克服の困難性が示されています。

 

3. 現代組織論の課題
現代組織論の課題とは、大規模/巨大組織における官僚制との闘いとも言えます。

 

4. 古典的組織論から近代的組織論へ 

(ア) 背景
近代化から産業化/工業化が起こり、大規模な近代的企業が発生して、「組織革命」が起こります。これが現代の「組織社会」「オーガニゼーション・マン」につながります。
産業化によって生み出された大規模な工業企業における人間の活動(協働)を対象とする科学として、経営学が誕生し、経営学の一部門として組織論が登場してきました。

(イ) 近現代の組織論
近現代の組織論は、古典的組織論(Classical Organization Theory)から、組織論における「科学革命」を経て、近代的組織論(Modern Organization Theory) へと移っていきます。

(ウ) 古典的組織論
古典的組織論は、管理過程学派の「経営組織論」になります。
経営学のルーツと言えますが、まずはアメリカでF. W. Taylor; The Principles of Scientific Management,(1911)が始まりです。

同時期にフランスで、H. Fayol ; Administration Industrille  et generale,(1916 )が示されます。これが1929年と1949年に英訳され、アメリカで管理過程学派(Management Process School)になり、1950年代の経営学の主流派となります。
理論的な枠組みとしては、産業化前の文鎮型組織から組織の中に階層が発生し、管理者層が現れます。この新しく表れた管理者層が何をすべきかを分析したのが「経営管理論」(Management Theory)になります。
管理者の管理活動(management)には、予測・組織・命令・整合・統制が含まれます。
古典的経営組織論では、管理機能(management function)として、計画化(planning)⇒組織化(organizing)⇒人事(stuffing)⇒指揮及び指導(directing and leading)⇒統制(controlling)の管理過程(management cycle)が示されています。

(エ) 経営組織論
Alvin Brown ; Organization of Industries,1949
組織構造論(organization Structure)と行動(behavior)について述べられています。古典的「経営組織論」は、組織構造論であり、合理的な部門編成を目指しています。合理的階層構造の編集を目指しており、市場環境に合わせて、部門や職能の組織を合わせます。
1938
年~1960年頃

(オ) 組織論における「科学革命」
「科学革命」(Scientific Revolution)とは、諸科学における通常進歩に対し、「パラダイム転換」(change of paradim)が起こる革命的進歩を指します。Thomas. S. Kuhn ; The Structure of Scientific revolution,1962
組織論における「科学革命」は、 バーナード革命(Barnard Revolution)と言われます。

 

5. 近代/現代組織論(Modern Organization Theory)
「バーナード革命」
Chester I. Barnard ; The Function of the Executive,1938
「新訳 経営者の役割」 1960年以降から評価が高くなります。
理論としては、「人間の活動システムとしての組織」(社会システム学派)や「組織均衡による環境対応(組織均衡論)」があげられます。

 

  Herbert A. Simon ; Administrative Behavior ,1947
「組織における意思決定の過程」 合理的な行動を目指す意思決定学派

 

◎上記は組織理論の原点と言えます。

 以上、主要な幹の部分ですが、組織論の歴史の概略となります。

 

(上智大学 ソフィア・コミュニティ・カレッジでの

小林順治先生 2019年春「組織の歴史と組織論の歴史」の講座内容より作成)


追補)

 組織論については、バーナード等にも影響を与え、ドラッガーに「経営学の預言者」と称されたM.P.フォレット(1868-1933)にも注目しています。社会構成主義の思想がすでにそこにはあると言えます。