エントロピーの法則とポストモダン(前篇)


 【最初に】

  この文章は、1984年に作られた卒業論文をもとにしています。当時に何か興味を感じたので、書いてみたのであろうと思います。それから35年後の「社会構成主義」の概念を知った今振り返ってみると、ガーゲンの危機感の対象であると思われるモダン主義の考え方やそれらが歴史的にどのように生まれてきたか等についてまとめられていました。内容的には「エントロピー法則Ⅰ・Ⅱ」という書籍を中心とした感想文に近いものになっています。当時の内容を若干修正し、現在時点でのコメントは、【  】に記述しています。  

 社会構成主義の立場としては、これまでどのようなナラティヴによって構築された社会があって、それがどのような変化がみられているのか?という視点が大切です。ここには、そのような基本となっている近代の社会を形作っているディスコースの成り立ちが「エントロピーの法則」という切り口からまとめられています。

 現在SDGsや環境について問題として大きくとりあげらていますが、1980年代においても、既にそれらの事については危惧されていました。ただ、残念ながら社会構成主義の捉え方で言えば、その危機感は社会を構成する共通のディスコースには現在まではならなかったということでしょうか。

このホームページの組織論の歴史で示したように、社会科学は本来自然科学を社会に適応して分析するものですが、経済学については自然科学の数学をメインとして分析し構築されています。その成立の経緯などについても触れられています。

一方で、ここで取り上げたように経済学を自然物理学の熱力学を適用して考えてみると、違った価値観が現れてきます。

社会構成主義が示すように、それが現実が問題かどうかは、人々の認知する社会との関係性で決ります。数学由来の経済学では「限界の概念」がなく、常にGDP経済成長や人口増も基本的にはプラスと捉え、総GDPのマイナスは問題として捉えます。基準を変えて熱力学をベースとして、経済学を捉えなおしてみると、人類の経済活動は人類が生存できる範囲の地球上のエネルギーの上の限界があり、昨今の状況を考えると、GDPのプラス成長や経済の基盤となる人口増は、逆に問題だと捉える事もできます。もちろん、技術革新は下記の数式で示すように、エネルギーの活用率のアップにつながり有益になりますが、それでもやはり地球の環境キャパシティの限界が技術活用の限界点とならざるを得ません。

また、貨幣を地球環境へ影響する行使権として捉えると、本来は人々に平等に降り注いでいるはずのエネルギーや過去の蓄積物を一部の人々が大きく独占しているということになります。
 「貨幣総量の価値≦地球の対人類の地球環境キャパシティ≦太陽エネルギー(過去累積分含む)×活用率+地球の自熱エネルギー×活用率」

現在では、SDGsとして、持続可能な開発目標やESG投資などに注目が集められていますが、既存の限界概念のない数値分析に基づく経済学ではその整合がとれず、ここに示したような熱力学をベースとした新しい概念の構築が、(地球)経営学というような形で必要なのかもしれません。

ここの内容は、「あなたへの社会構成主義」におけるガーゲンの危機感の一部を表しています。「あなたへの社会構成主義」が主張するように、我々は新しいナラティヴを通じて対話し、新しい概念が求められているように感じます。このことから、表題を「エントロピーの法則とポストモダン」に変更しました。

また、(後編の)最後に経営学にその解決を期待していますが、参考として、組織論における「バーナード革命」の基となった「経営者の役割」(1938年)からその冒頭部分をここでも引用しておきます 

 

「社会改造の文献において、現代の不安にふれない思想はひとつもないが、具体的な社会過程としての公式組織に論及しているものは事実上まったく見当たらない……。

……政治的分野においてみられる信条や利害の対立の多くのもの━それをスローガンで示せば、「個人主義」「集産主義」「中央集権」「自由放任」「社会主義」「国家主義」「ファシズム」「自由」「集団編成」「規律」である━及び産業の分野におけるある種の無秩序は、具体的な状況における個々人の社会的な立場人格的な立場についての考え方を、直観的に、その他の方法で、いずれによっても調和しえないためである。」



「エントロピーの法則とポストモダン」
(エントロピーの法則と経済学)

 昭和59年(1984年)1月19日提出

【 】内は、2019年の現時点で新たに付け加えたコメントです。

 

【目次】

 イントロダクション

(1)   エントロピーの法則 

(2)   エントロピーの減少系

(3)   生物のネゲントロピー機構

(4)  3の系━人類の系

(5)   我々は何を信じているか

(6)   機会的世界観の成り立ち

以上、前篇

 

以下、後編

(7)   変動する世界

(8)   現代の経済学
自由競争

   市場均衡

   均衡対不均衡
インフレーション
外部不経済
GNP
経済分析 

(9)   経営学への期待

 


イントロダクション

今、エントロピーという言葉が結構と話題になっている。最初にこのエントロピーという言葉を見たのは、日本経済新聞の小さな欄に「今、エントロピーの法則が脚光をあびているが、それを経済学に導入してはどうか、という趣旨の記事においてである。暫くして、ジェレミー・リフキンによる「エントロピーの法則」という本を手に入れ、卒業論文の題材にすることにした。最初は、エントロピーの法則について書かれた本はあまりなかったが、そのうち、参考文献がどんどん出版され、それらの本からの引用が非常に多くなったが、なるべく自分なりの裏付けをつけ説得力のあるものにできれば良いと思っている。

 最近出版される将来に関する本は、少しは今から論ずるエントロピーの法則による各種の制限を内包したもののような気がする。現在、それは人間社会があらゆる面で制限を受けていることに他ならない。確かに、この日本の生活は豊かで快適なもののようである。しかし、この豊かさはいつまで続くのであろうか。新聞では、西欧での戦術核配備、全世界的な核、及び、通常兵器の増強を知らされるし、今この瞬間も世界各地で戦争・紛争・テロ行為が行われている。また、核戦争によっては、塵などによって地球が一時的に冷え切ってしまい人類は生きてゆけなくなるとも聞く。一方で、二酸化炭素の急激な増加によって地球が温暖化し、極地方の氷が融けて現在の都市はほとんど水没してしまうという報道もある。あるいは、現在世界には1600万人の難民がいる。そして発展途上国では、1千万人から2千万人の人々が毎年餓死し、カール・エリック・クニュトソン ユニセフ事務次官は「昨日も今日も明日も、発展途上国では4万人の子供たちが命を落としている。予防措置で防げるものが大部分なのに」と、129日の日本経済新聞の片隅で訴えていたが、豊かな日本に住む我々は、肉を多く食べるようになり、ダイエットに興味を持つ人も多い。

 我々は食糧危機とは無縁の存在なのであろうか。前述の二酸化炭素増加の問題の森林、特に大切な酸素供給源である熱帯雨林が、パルプや焼き畑農業の為に伐採され、2050年までに消滅してしまうという意見もある。また、我々の生活をよく見てみても、口にする野菜・米は、農薬・肥料漬けであり、工場や家庭から大量に排出された汚水を含んだ海で獲れた魚や、またその近海魚を餌とした養殖の魚を食べている。また、身の回りの排ガス・廃水・廃棄物をじっと見る時、我々がずっと存続出来るかどうか疑問である。また、米ソの核ボタン管理者が今後、200年も300年も正常でいられると考える我々は正常なのであろうか。また、我々の食品に加えられる添加物によって子孫に異常は現れないと考えるのは正常なのか。バイオテクノロジーは、人類により大きな問題━人類を死滅させるような細菌の出現━を起こさず発展できるのであろうか。原子力発電や太陽エネルギーは石油を乗り越えられるであろうか。等の疑問が湧いてきます。 

 これらの問題に対して、我々人類は答えを持っているのであろうか。新聞には、よく自らの利益の為に、猛毒を流す工場の記事が載る。他人に災いをもたらし、目先の利益の極大化をするというのが、今の世の中の経済活動のようである。このような活動は何を基にして行われるのであろうか。これらの問題に対して大学の4回生まで問題の存在を教えられはしたが、これらを解決するような理論は学ばなかったような気がする。唯一、科学の進歩発達がこれらの問題をいずれ解決するだろうと思ってきた。だが、本当に解決できるのだろうか。確かに、河川や大気は少しきれいになったようであるが、完全に解決されそうな気配をあまり感じはしない。

 このような状況の中で経済学が実際はどのような影響を持っているのか、大変興味深いことである。現在、全世界の人々が相互に商取引を行っていることを考えると、経済学は我々にとって大きな影響を持つというよりも、その中に組み込まれて暮らしているといった方が適切だと思われる。だが、その経済学が現実の各種問題について解決策を授けるか、助長するのかは定かではない。この意味で経済学の現実への適応性を考えるのは大切な事に思われる。経済学の理論がいかに整然としていようとも、神の国のモデルである全知全能の経済人を想定している限り、人間にとって有用でないとも言えよう。以下、ここまで述べたことについて、「エントロピーは増大する」というエントロピーの考え方に立って、我々の社会、そして、問題点について考えたい。


 (1)   エントロピーの法則

 エントロピーの法則は熱力学の第2法則で、これだけは現在の法則の中で不変の原則と言われている。「エントロピーは、すべての科学にとって第一の法則である。」と、言ったのは、アルバート・アインシュタインであり、宇宙全体の崇高な形而学的法則として「エントロピーの法則」を展開したのは、アーサー・エディトン(18441944.イギリスの天体物理学者)であった。

 これをもう少し判り易く説明すれば、ニュートンの理論体系にしても、アインシュタインの相対性理論にしても、現在では絶対的な真理と認められている訳ではない。これらの理論に反する現象が発見されない間は、とりあえず仮の真実と認めましょう、という事に過ぎない。これを「暫定真理」と呼ぶが、これまで人類が発明、発見、開発してきたすべての理論や法則は、この「暫定真理」に属すると言ってよい。例えば、ニュートン力学にしても、全宇宙の根本法則のように長年信じられてきたが、アインシュタインの理論の出現により、「相対理論」の特殊ケースを説明する理論であることが明らかになっており、また、このアインシュタインの理論にしても、それを超える法則の存在する可能性が現在すでに予測されているのである。

 

 だが、この「エントロピーの法則」を含む「熱力学の法則」は、そうではないらしいのである。このことを言っているのが、今、挙げたアインシュタインやエディトンの言葉なのである。

 では、熱力学の法則とは何か。この法則には、「第一の法則」と「第二の法則」があり、「第一の法則」は、「宇宙における物質とエネルギーの挿話は一定で、けっして創生をしたり、消滅することはない。また、物質が変化するのは形態だけで本質は変わることがない。」という有名な「エネルギー保存の法則」である。そして、「熱力学の第二法則」つまり「エントロピーの法則」は次のように表されている。「物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは、利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいは、秩序化されたものから無秩序化されたものへと変化する。」という事である。

 

 エントロピーとは、一種の測定法で、それによって利用可能なエネルギーが利用不可能な形態に変化していく度合いを測ることができるものである。まずは、最初にエネルギー・エントロピーという概念について、もう少し詳しく述べてみたい。

物理学の立場からすれば、エネルギーの範囲は極めて広い。もちろん、石油・石炭・原子力などもエネルギーには違いがないが、それらはあくまで地球上に存在するものごく一部である。エネルギーとは究極的には、アインシュタインが示した公式 E=mc²で表されるすべてであり、すべての形ある物質ことなのである。この式で示される量は膨大であり、現代人が行っているすべての原子力計画が実現したとしても、その一部を変換し得るに過ぎないと言える。しかし、それらをすべて人類が利用できるという事ではない。石油・石炭はエントロピーの低い物質であり、我々にとって利用しやすいエネルギーと言える。逆に砂は究極的にはエネルギーであっても、エントロピー度が高く我々には利用しにくいものである。

 

 少なくとも、いつの時代にも人類はエネルギーを必要としてきた。現代人の生活は石油エネルギーなしには成り立たないように思える。しかし、つい200年前では、石油はそう使われなかったし、なくても立派に活動をしてきたことも事実である。そのことを考える時、エネルギーに対して違った捉え方をしてみるのは大切な事だと思える。 

 石油ショックの後、多くの人々は資源、エネルギーや食糧は有限であるという事実に突き当たった。食料は再生産可能なようだが、現在のように肥料・殺虫剤に頼った農業は土地が衰える為、再生産的でなくなりつつある。もちろん当初は、一部の専門家の言う科学技術発達によって、これらの問題は解決できると信じる者が多かった。しかし、徐々にこれらを解決するためにエネルギーをそれだけ多く消費すれば、公害に結び付き、むやみな科学の乱用はエントロピーが発生し、その増大に結びついてしまうという矛盾がわかってきた。(w.ophuls,w.h.freeman,”Ecology and the politics of scaracity”1977)資源・食料の枯渇は科学によって解消するかもしれないが、結局、科学によってより一層の無秩序━公害など━が発生し、人類は破局に向かうだろう、という意見が浸透されるにつれ、無秩序さの尺度、エントロピーに対する認識が変わってきたのである。

 

 前述のようにエネルギーを考える時、忘れてはならない法則は2つある。また、エネルギーはこの2つの法則によって最終的に支配されているとも言える。その法則をもう一度、判り易く説明すると、第一の法則はエネルギーとは決して作られることもなくなってしまうこともない、という事である。事実、エネルギーは光から電気、そして熱というように形は時々変わってゆくが、その量はトータルで見れば一定に保たれている。これは普通熱力学の第一法則、または「エネルギー保存の法則」と呼ばれている。ただ、この法則を適用するだけでは、エネルギー問題の外形はわからない。せいぜい暖房用には、都市ガスでも電気でもあるいは石油でも、同じ効果が得られるという理解ぐらいまでである。ここでエネルギーが保存されるというのは、例えば石油を燃やしてもその前後のエネルギー総量は変わりがない。つまり、燃やした後の熱と排気ガスと水蒸気に含まれているエネルギーを合わせれば、石油が本来持っていたエネルギーと同じになるという意味である。

 

 排気ガスと水蒸気もそれなりのエネルギーを持っているのだが、問題は努力してこれらをいくら集めてみても、もはや暖房にはあまり適さないという事である。同じエネルギーでもこれらはあまり人間には役立たないものである。エネルギーの量が同じでもなぜそうなるかを示すのが、次の熱力学の第二法則、もしくは「エントロピー増大の法則」と呼ばれているものである。

  この法則が述べていることは、エネルギーは自由に形を変えてゆけるし変換できるものであるが、その時々で必ず代価を支払わなければならない、という事である。この代価とは、先の石油の例でみるように、本来そのエネルギーが有していた仕事をする能力、すなわちポテンシャルの放棄、という事である。熱力学ではこの仕事に変えることが出来ない量を「エントロピー」と定義している(クラジウス、1985年)。これはエントロピーとしては教えられないが、高校の物理Ⅰの中で「不可逆変化」として教えられるものである。その例として、「熱した湯は自然に冷えるが、逆に逃げた熱がひとりでに集まり、再び湯になることはない。この時、無理にその状態に戻そうとすれば、必ず他になんらかの変化が残ってしまう。例えば、電気冷蔵庫では、低温側から高温側へ熱を移動させることが出来るが、この時に電気エネルギーを消費する。このように、我々が利用しやすいエネルギーほどエントロピーが低く、エントロピーを人為的に低くする為には他のエネルギーが必要なのである。また、エネルギーを変換する度にエントロピーは発生し、その総量は増大してゆくことになる。エネルギーとエントロピーを初めて組み合わせたのは、熱力学の始祖と言われているドイツ人の物理学者クラジウス(R.Clausius,1822~88)で百年程前のことであった。ここでこの熱力学の法則が我々の社会にどのように影響を与えたかを高校の教科書(三省堂 世界史 3訂版)で見てみる事にしよう、P252に自然科学と技術の発達と題して

 「18世紀に基礎を確立した近代自然科学は、その後、産業革命を経過した資本主義の発達に伴い、19世紀の中頃から目覚ましく進歩した。19世紀における自然科学の3大業績は、物理学でのエネルギー保存の法則の発見(1847年)、生物学での進化論及び生物体細胞説の確立であると言われている。エネルギー保存の法則は、ドイツのマイヤー(Mayer,1814~1878)の着想をヘルムホルツ(helmholz,1821~1894)が受け継いだもので、自然現象をすべてエネルギーの形態の変化したものとして捉え、蒸気機関の効率を高める熱力学の基礎となった。…‥(中略)……自然科学の領域を超えて社会思想にも大きな影響を呼び起こしたのは。生物学での進化論の確立である。人類進化の思想は19世紀初めころから起こっていたが。イギリスのダーウィン(Darwin,1809~1882)が「種の起源」を著し、生物は生存競争・自然淘汰によって適者のみが生存すると説いた事は人々を驚かせた。彼の説は、自然を固定的なものとしていた従来の世界観を根本的に変化させたが、特にイギリスのハーバート=スペンサー(Herbert Spencer)の社会進化論はイギリスやアメリカの思想に大きな影響を与えた。……(中略)……このように自然科学と技術の発達は、人類の物質文明を大きく前進させたが、他方では火薬のように戦争技術の発達を促し、人類の不幸をもたらした面もあった。」とある。

  ここではエネルギー保存の法則は、3大業績として讃えられ、蒸気機関との関連で述べられている。そして進化論の登場に触れられている。エントロピーの法則の発見(1854年)には、一切触れられていない。つまり、この法則は人類の限界を暗示し、進化論とは矛盾する為、あまり関心が払われなかったのである。また、この法則は、これまで一部の専門家の関心事でしかなかった。それはどうしてだろう。それは、人間は誰もが不死だとは思っていないが、現代人の眼にする事はあまりにも、この法則から離れた出来事が多いのも事実である。いくらこの法則により、建物は手を加えなければ廃墟となり、人間はいずれ死んでしまう、と言っても、人類の英知は時間とともに崩壊するどころか、逆に蓄積されてゆき、より秩序だった知識に移ってゆく。ビルとは、それまで世界各地に散らばっていたセメントや鉄筋を一か所に集める秩序つくりである。こうみれば、これらはエントロピーの法則から外れているようである。このことは、エントロピーの法則は、人間の精神には立ち入れないし、物質面でも以下に述べるようにエントロピーの減少系が存在することを示している。

 それゆえ、この法則をもって当然すべてを予測することは出来ない。物理学で、このエントロピーの法則を免れる事象を説明する時には、よくピストンの例が使われる。シリンダーの中に一定の気体を押し込めたピストンは、ほっておくと気体の圧力で押し返され空間は拡がる。エントロピーの法則どおりピストンに閉じ込められた気体分子は、より無秩序な状態を求めてピストンを押し返すからである。また、空間が拡がる分だけ気体はより無秩序に飛び回る。すなわち、エントロピー度は増すのである。しかし、逆にピストンに外から力を加えて押し返してやれば、期待は再び圧縮されてエントロピー度を下げる事が出来る。つまり、特定の空間に限れば、エネルギーを外部とやり取りすることによって、エントロピーの法則に逆らう事が出来るのであり、これをエントロピーの減少系と呼ぶ。こうした例もある中で、エントロピーの法則だけを信じることは、すべてをどうせ死ぬのは分かっているという言葉で片付けてしまうのに等しいことになる。むしろ、なぜエントロピーの減少の中でエントロピーの増大に抗しうるのか、そのメカニズムはどのようになっているのか、また、それが人類の文明にどう影響を与えるかを見るのは重要な課題と言える。
以下、この法則が我々の社会とどのように関りがあるのか、明らかにしたい。


 (2)エントロピーの減少系

 地球上で見れば、人類の将来に与える重要なエントロピー減少系は3つである。

 その第一は地球自身である。絶え間なく降り注いでいる太陽からの輻射エネルギーは、地球にそのまま蓄積されるわけではない。入射された量とほぼ等しいものが再び宇宙に放出され続けている。太陽が地球に送ってくるエネルギーの流れは、地球全体を考える時、148,700×1012kcal/h程度である。但し、このうちの3割は大気圏に入り込むことなく、その上層部で反射されて圏外に去る。残り7割の内、約34,400分は大気圏内の水滴やチリなどの浮遊物に当たって反射され同じく圏外に去る。従って地表面に到達するのは69,700である。そしてこのうち、24,900分は海面や砂漠によって反射され、輻射熱として大気圏外に放出される。よって、44,800分が地表に残留することになる。この中で約8割が海水面を主とする地表の気化を、残りの2割が滞留を引きエネルギー起こす。特に水蒸気の比重は空気の比重よりもずっと小さいので、水蒸気を含んだ空気は大気圏内を容易に上昇する。こうして水蒸気を大量に含んで上昇する空気は、気圧の低い高空で断熱膨張して潜熱を出して低温となり、結露ないしは氷結する。この際に放出される熱は水蒸気の長波長熱戦として大気圏外に輻射される。いったん雲になる水は、やがて降雨又は降雪として地表に戻ってくる。この水循環と滞留において、熱力学の第一法則のように、エネルギーは保存されるが、エントロピーは減少する。この働きにより、地球はその地表において増大するエントロピーを水循環と対流を通じて減少することが出来る減少系と言える。

ところが、19831020日頃の新聞によると、今すぐすべての社会活動を中止しても。21世紀の中頃には、増大した2酸化炭素の為、地球の地表の温度は上昇し、氷が融け現在の平野部は水没してしまうであろうという記事が載った。このことは、人類による二酸化炭素の排出の増加は、今述べた地球のエントロピー減少機能に支障をきたしているということであろう。これが事実であれば、人類は自身がエントロピー減少系であり続ける条件【地球を】を破壊してしまう可能性を持っているのである。

2の減少系は生物である。但し、人類も含めた第2の減少系は、地球という減少系があって初めて存在ができる。たった1個の受精卵から質の高い生物に育つのを見れば、これがエントロピーの減少系であるという事は容易に理解できる。もちろん、生物が摂取するエネルギーは多種多様なのであるが、生物は自己内で発生したエントロピーを体外へ捨てることが出来るのは、その生物を取り巻く第一の減少系である地球がエントロピーを捨てる能力を持っているからである。 

 第3の系は人類である。言い直せば、人類の様々な発明・発見・社会生活・文化・文明を含めたものを指すという事である。そして、この系は第1・第2の系なしには存在しえないものである。

 

 この3つの系の内、第2・第3の系については、個々の死や個々の文明の崩壊を乗り越えて、生物・人類系としてエントロピーの法則を越えて存続している点について注意すべきである。これらの問題の中心となるのは、第2・第3の系がなぜ、エントロピーの法則に抗してこられたのかという点である。

 エントロピー減少家には、地球系では太陽からの輻射エネルギー、生物系ではこれと種々の食料と呼ばれる化学エネルギー、人間系にとっては更に石炭・石油・原子力等のエネルギーを使って、外部にエントロピーを放出していると言える。このエネルギーを使い、内部エントロピーを放出する機構を「ネゲントロピー機構」と呼ぶのである。

 まず、30億年余りという継続の実績を持つ生物において、どのようにネゲントロピー機構を保持し変化させて行ったのかこの条件を探り出し、ついで。この条件を人類並びに社会・文化にあてはめて考えてみたい。


 (3)生物のネゲントロピー機構

 エネルギーやエントロピーを通してみると、生物間ではエネルギーの調和が見事に取れている事に驚かされる。この調和は生態系と呼ばれ、微生物から高等生物まで含まれている。そうすると、太陽の輻射エネルギーをあらゆる形で最大限に利用しているのが生物と言えよう。この「うまく利用しつくす力」が、先のエントロピーの法則に抗し続けるメカニズムと関連があることは間違いないだろう。

 

 生物は現在から30億年ほど前に、現在のバクテリアやらん藻類に近い生命体として発生したようである。生物は地球上に多い鉄やケイ素ではなく、太陽の輻射エネルギーのエネルギー域と作用しやすい、炭素・水素・窒素・酸素・リンにより形作られている。これから生物をCHNOP系と原子レベルでは見る事が出来る。いつ、どうしてかは現在でも定かではないが、このCHNOP系が生命を持ち、生命活動を始めた。これは、エントロピーの増大に抗しようとする為、前の生命サイクルが崩壊しきらない間に次のサイクル作りを行う一連の活動と言える。この後現在まで、このシステムが何らかの形で我々まで繋がっているのである。つまり、生命体とは「周りのエネルギーを利用し。良質なエネルギー作りを行い続けられる系」と言える。そして、細胞とはエントロピーの法則に抗し、絶えることなく良質なエネルギーづくりを実現している単位であると言える。この細胞という原始生物の類似の働きを持つ単位体が集まって、すべての生物は組織されているのである。細胞は修復機能を持ち、自己と同じものを複製してゆく機能も持つ。これらの機能は、細胞の遺伝子から指令が出され、それらに必要な情報は、すべてDNA内部に化学的に記憶されているのである。

 

 生物学において、遺伝子の機能とは一口に言って、カエルの子はカエルを約束するものという事になる。自己と同じ機能を作る能力を保証するものと見られている。その遺伝子が、時々の変動に対処でき、適切な指令を出すことにより、これだけ長い間存続出来たと考えられる。つまり、このような情報処理能力を遺伝子は持っているという事である。これは言い換えれば、DNA内に化学的に記憶されているエントロピーの法則に抗する為に必要な諸情報を、時々の環境に合わせて最新の情報に切り替えてゆく能力を指すのである。常にエネルギー自体に変動がある中で継続して、ライフサイクルを保ってゆく為には必要な能力と言える。遺伝子は最初、突然変異現象として知られる現象によってこの能力を有した。この情報処理は、これらが次々と子孫を複製するクローン(Clone この無性的複製現象はバクテリアやラン藻類だけでなく高等な生物でも見られる(1984年)【2019年の現在では、人間にまで適応されるようになっている】と呼ばれる自己複製の時に行われる。さらに、遺伝子交換モデル、さらには、性を有する受精卵システムが確立されることによって、遺伝子の情報処理能力はおおいに向上したと言えよう。これにより、生物は環境が変わればそれに合わせて情報を切り替えてゆけるのである。今から6億年前の古生代には三葉虫をはじめ海生無脊椎動物が爆発的に発現してくる。原因のひとつはこの性の完成と言えるのではないか。この後、現在のエネルギーを利用尽くす生態系が完成するまでこの遺伝子コンピュータが演算を続けたと言える。この遺伝子が関与してきたものを私たちが扱ってゆく上で忘れてならない法則がある。アメリカの生物学者(W.Roux,1850~1924年)が最初に指摘したことであるが、 生物体が持っている機能を調べてみると、結論的には「最小最大の法則」が働いていることである。これはすべての生物体は、最小の材料によって最大の効果を発揮する機能が生命で営まれているという事である。この法則こそエントロピーの法則に抗し続けた答えの中で共通するものであり、要であると言える。また、生物の大型化、受精間隔の長期化に伴って、受精システムだけでは環境に適応できない場合もありうることとなる。そこで遺伝子コンピュータを補完するものとして出てきたのが、第2世代のコンピュータともいえる脳である。より優れた脳を持つことにより、生物はその身体各部の統制能力や学習能力、更に教育能力、創造能力を高める事によって、より短期間に環境に適応する事が可能になったのである。 

 人間もまた生物の一種である限り前述のバクテリアと同様にエントロピーに抗する答えの一種であると言える。こう考えれば、エントロピーに抗するという問題において、種全体から見るとバクテリアと人間はどちらが進化しているのかという事は判断できなくなるし、また我々が進化の頂点にいるとは必ずしも言えない。例えば、ゴキブリの存続性には人間は敵わないのである。確かに人間は、短期間に地球上の大部分の生物を殺すことのできる科学力はあっても、地球全体のエネルギーバランスを調整し、他の生物とのバランスの上でエントロピーの増大に抗するという面では、植物などに劣っているのである。

 また、一般生物学上ではある集団内の特定因子を持つグループがどれだけ増減したかを「進化」と定義しているが、ここで「時々のエントロピーの減少系を存続させ続けた成果を進化である。」と定義しなおせば何億年前に進化を遂げたものであれ、その種が現在まで存在し続けるなら、その「答え」は極めて有効であったと言える。原始的という人間の価値観をもとにした基準は、「種の存続」という面ではあまり意味がないと言える。


 (4)第3の系━人間の系

 イギリスの文化人類学の父と呼ばれるE・テイラー(Edward Tylor 1832-1917)は、文化を「知識・信仰・芸術・法律その他、人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力や慣習の複合体」と規定した。しかし、生物学者が行っている文化論は、この定義と少し違っている。

 例えば、プリンストン大学のJ.T.ボナーは、これを「生物たちの間でみられる動作により手段で伝えうるすべての情報」としている。(J.T.Bonner  “The Evolution of Culture In Animals)。ここで行おうとしている定義はタイラーよりボナーに近くなっている。

 30憶年余りにわたってエントロピーの法則に抗してきた遺伝子の系、すなわち生物には、その為の多数の情報が蓄積されかつ伝達され続けてきた。この蓄積、この伝達法には、際立って異なる2種類があった。一つは細胞内の核中にあるDNA分子に、化学構造上の違いとして蓄積されていった情報である。これは、先にみたように親から子へ縦型の伝達が行われる。

 

 この一方、より複雑な進化を遂げていった生物の中からは、複雑なエネルギーの流れを利用して、エントロピーの法則に抗しようとするものが出てきた。この目的を達成する為には、DNA分子内に蓄積できる情報量ぐらいではとても足りない。その為、DNA分子による伝達は基本設計に関するものに留め、あとは第2世代のコンピュータである脳に随時処理させようとした。この時コンピュータに蓄積されてゆくノウハウあるいはソフトウェア集積は脳内に保有され伝達されてゆく。ノウハウとはニューロンの接合状態であり、これは単に親から子へという「縦型」の伝達だけでなく、時空間を越えた「横型」の伝達も可能にしました。

 生物というエントロピー減少系で保有されているエントロピーの法則に抗する情報は、この系が発現時のままDNA分子の化学構造上の違いとして受け継がれてゆくものと脳の働きにより水平にもうけつがれてゆくものに分ける事が出来る。前者は遺伝子による継続であり本能と呼ぶことが出来、そして後者のものをすべて、文化による継続と呼び、知性と定義するのである。

 

 人間の系では、体内器官に付け加え、脳が作った人工四肢というべき、対外器官類が付け加わりだした。

人間の体内器官も他の哺乳類並みの働きはする。だが、人間の系を特徴づけるのは、むしろ人間が作ったこれらの人工四肢の方である。【2019年では、AIという脳そのものの対外器官が出現しつつある。】

 別な言い方をすれば、遺伝子は厳しい自然の掟から自らを守るために生体という緩衝帯を作り、しばしの間、この掟を遠ざけていることになる。これが人間の系では、それだけでは不十分なので生体の外側に第二の緩衝帯、すなわち人口区間を設けたと言える。これで自然の掟をどの程度遠ざけうるかは別だが、人間は自然環境と異なる第二環境の中でライフサイクルを継続しだした。この人口空間、もしくは第2環境の内訳は、自動ドア、自動車と言ったハードウェア的な対外機関だけでなく、この機関の作り、あるいはその使い方と言ったソフトウェアもある。人間の系では、脳によりエントロピーの法則に抗する「答え」探しという対外進化を遂げる。対外進化が起きるとは、より具体的に言えば、教育や創意によって脳内にそれまでは見られなかった新たなニューロンの接合状態が出来るという事である。ニューロンとは脳内にある柔突起で、これがいろいろ接合することによって、記憶を蓄えるのである。

 人間の系というエントロピーの減少系では、人間はその脳内のニューロンの結合状態に基づき、文化を持ち、社会を作り、その中でライフサイクルを営みだした。ビルや道路に見られる人工空間を作り、あるいは、自動車や飛行機のような人口四肢を作り、社会的生活を営みだしたのである。もちろんこの為には動力源がいる。この目的に摂取・変換されるものは、単なる生物エネルギーである食料と区別され、エネルギー資源と言われている石油・石炭などである。
 ビスケットという信号を入手した脳がゼロから判断するのでなく、「あらかじめ定着していた接合に従い、判断する」ことで推察できるように、脳内に出来ている接合パターンが時々の人間の感情から理性までを含む判断を左右するものとなる。そして文化というものは、高次な、かつ、体系だった接合が定着した場合、道徳、科学技術、経済等々といった体系だった価値判断になる。ニューロンの接合状態により、人間は道徳的な行動を示すし、それに基づき経済活動を行う。人間社会とその行為は、人間の脳に蓄積されている情報のプリントアウトということになる。【社会構成主義を別の面から説明しているような表現です】

 

 このように考えてみると、人間の系には明らかに限界が存在していることになる。人間がエントロピーの排出を増大させることは、その分、他の生物のネゲントロピー機構を妨げ、その生物の生存を不可能にするし、より一層の増大は、第一の系である地球のネゲントロピー機構を越し、地球内部に熱エネルギーを増大させ、人類の生存自体を脅かすことになる。また、人間の系もエントロピーの法則に抗する系と見ると、我々の社会も、前述の最小最大の法則を満たすのが、最適だと言える。その意味で、対外機関類の脳であるコンピュータがこれに正しい答えを導き出し、いかに人間社会に最小最大の法則を実現させるかが、大変重要になってくる。しかし、つまるところ、そのソフトウェアを作る人類にその責は帰していると言わなければならない。
 そして、我々の脳のニューロン接合状態を見、そして我々の社会を一層明らかにする為、我々のか持っている価値観というものについて次の章で明らかにしたい。


 (5)我々は何を信じているか

 この章の目的は、我々の価値観がどのようなものであるかを考え、それがエントロピーの法則に抗う事が出来る性質のものであるかを考える事にしたい。もし、我々の価値観というものが、エントロピーを増大させようとするようなものであれば、我々の文明もまたエントロピーに抗しえなくなると言うのは、前章で述べたように、我々の文明は我々の価値観のプリントアウトであり、同一性を持っているからである。【同じく社会構成主義を別の側面から説明しているような表現です】

 

 今まで特定の世界観が特定の時間・場所で出現したが、人間が特定の第2環境を維持する為には、エネルギーが必要であるということから、エネルギー条件が世界観にどのように影響するかという事を明らかにしたい。
 まず、ギリシャ・ローマ時代の世界観から見てゆきたい。プラトンにせよアリストテレスにしろ、また、その他のギリシャ哲学にせよ、彼らの歴史の捉え方は、我々現代人とは正反対であった。例えば、ローマの詩人ホラティウス(Horatius 65~8 BC)は、「時間は物の価値を下落させるように働く」と、考えていた。ギリシャの神話では、歴史は5つの段階で表されている。そして各段階は、前の段階よりも余計に堕落し粗野になっていくとしている。ギリシャの歴史家ヘシオドス(Hesiodos 700BC)は、次のように書いている。「『黄金の時代』の人間は、初めオリンポス山に住む神々によって造られた……。彼らは心配事もなく神々のように生活し、労働や悲しみに授かることもなく、無残に年老いる事もなかった。手足はいつまでも丈夫で、不幸や災難なども知らず饗宴に打ち興じていた。更に彼らの死はあたかも眠るようなものだった。おいしい食べ物はすべて彼らのものとなり、豊饒な土地からは作物がひとりでに、しかもおびただしく実った。彼らはその土地で豊富な産物に取り囲まれ、平和に、そして善意に満ちた生活をしていた。」(バートン・ティリンガスト著『歴史へのアプローチ』より) だが、このヘシオドスの描いた『黄金の時代』を例えば、近代の思想家トマス・ホッブス(1588~1679,イギリスの哲学者、政治家)ならなんというだろう。彼は多分単なるおとぎ話として、まるで相手にしなかったに違いない。ホッブス自身人間は、その誕生初期には、孤独で貧困、醜悪で野蛮、そして脆弱なものとして捉えていたからである。
 だが、現在の人類学者たちは、どうやらまた、ヘシオドスの解釈と近いものに戻ってきたようである。と、いうのは、現在もなおも見られる狩猟社会を調べてみると、ヘシオドスの考え方に似ている所も多いのである。アフリカのブッシュマンや、その他の狩猟民族を詳しく調査した場合、現実にびっくりすることが幾つか見られるからだ。では何故我々はびっくりするのだろう。それは人類の歴史とは、苦難に満ちた原始的な社会から少しずつ前進し、20世紀のアメリカに見られるような快適でのんびりした生活が送れるようになる為の進歩の過程であると、現代の我々が思い込んできたからに他ならない。しかし、エントロピーの増大を考える時、もはや40億以上の全世界の人々がアメリカ程度の生活を送ることは不可能であるというのを疑う人はいないだろう。

2019年世界人口76.7億人、なんだかんだと言いながら20億人以上は1994年当時のアメリカ並みの生活をしているかもしれない】

 

 そういう意味では我々の意識は少しずつ現実にあたって、変わってきていると言える。日本でも東京において一生暮らすより、地方でゆったり暮らしたいと思っている人は増加傾向にある。【地方で暮らしたいとは皆思ってはいたが、ご存知のように35年後の結果としては、更に東京への一極集中は進んでしまっています。】そして、ヘシオドスによると、パンドラの箱を開けてしまったことにより、『黄金の時代』は急激に終わりを告げることになったのである。しかもそれ以来、時代が変わるたびに前にもまして粗野で過酷な時代になってゆくのである。ギリシャ神話によると、5つの時代の最後は、『黒鉄の時代』となっているが、紀元前8世紀にヘシオドスは次のように言っている。

 「ここ当分は『黒鉄の時代』が続く。この時代は1日として労働や悲しみから免れることはなく、一夜として略奪者の手から逃れる事はない。父は子供らと子供らは父と折り合うことなく……親たちはたちどころに年老いて、名誉を失う……」(前出の「歴史へのアプローチ」より)と言っているのだが、現代史観に基づいた我々の高校の世界史教科書については、ヘシオドスについて正反対の事が述べられている。 

 「……ホメロスの詩は王侯・貴族を主人公とし、貴族的な要素が濃いが、これに対してヘシオドスは、『労働と日々』の中で労働の尊ぶべきことをうたい、平民の気持ちを表した。」と書かれている。このような労働についての解釈の違いは、我々の価値観が現代社会だけでなく、歴史という過去の事実に対してさえも影響を与えうるという事を示してくれるのである。
 また、『黄金の時代』には、原初的な秩序が完全に保たれていたが、その後は時代を経るにつれて堕落の一途を辿っていった。ついに宇宙が極度のカオス(混沌)に近づいた時、再び神々が介入してきて元の完全な状態に引き戻した。こうして、また5つの時代が始まる。ギリシャ時代にはこのように歴史を「完全に向かっていくもの」ではなく、「秩序から混沌へと絶えず循環を繰り返してゆくもの」として捉えていたのである。

 

 こうした循環回帰の歴史観は、いかにして社会の秩序を計るべきかとするギリシャ時代の世界観に大きな影響を与えた。プラトンとアリストテレスは、「最良の社会秩序とは、ちっとやそっとでは変化しないものだ。」と考えていた。変化とは要するに、より優れた価値をもたらすものでなく、それとはまったく反対の方向へ導くものと考えられていた。もし、歴史が、原初の完全な状態をそぎ落とし、原初的賜りものを一定の割合で消費をする過程だとすると、理想的な社会とは、出来る限り進歩と言われる変化を止め、堕落を遅らせてくれる状態であるということになる。

 つまり、ギリシャ人たちは、変化や進歩が大きければ大きいほど、その社会はより堕落と混沌に満ちたものになると考えたのである。だからギリシャ人にとっては、その最終目的とは、出来るだけ変化のない世界を次世代に引き継いでもらうことであったといえる。 

 しかし、我々の教育という中においては、以上のような考えはあまり教えられない。ギリシャ・ローな時代は、近代文明の源という情報を与えられる。つまり。暗黒の中世世代=神の束縛の時代において、人類は進歩を中断するが、ルネサンスを経て再び進歩を開始し、我々はギリシャ・ローマ時代からずっと進歩してきたかのような情報を与えられるのみである。このことを少し確認する為に、前出の教科書のギリシャ文化の欄をみてみよう。「哲学は、自然現象を神話的解釈から解放しようとするイオニアの自然哲学から始まり、紀元前56世紀に、ターレス・ヘラクレイト・デモクリトスなどがでて、万物の根源を合理的法則に基づいて追究しようとした。ペルシア戦争後、繁栄の中心がアテネに移り、民主政治が盛んになると、哲学の対象も自然から人間に向けられ、ソフィストが現れた。彼らは認識の主観性を説いて、啓蒙的な役割を果たしたが、のちには詭弁を用いて衆愚政治を助長した。これに対して、客観的真理の存在を説いたのが、ソクラテス(Sokrates,469-399B.C.)であった。衰退期に向かいつつあったポリス社会に生きたソクラテスは、真理追及の対象を人間の行為に求め、その改善によってポリス社会の衰退を防ごうとしたが、市民に誤解され、裁判によって処刑された。ソクラテスの弟子プラトンは、個人的な道徳の改善だけではポリス社会を救う事は出来ないと考え、人間と国家を導くものとして、理性によって認識される秦の存在(イデアIdea)を説き、『国家論』の中で……」となっている。ここでは、話の順序がややこしくなるので詳しくは述べないが、注意すべき所は太字にしておいた。後に同じような表現がルネッサンス期の所においてもみられることもあろうし、我々の価値観が含まれている所もあるのである。また、近代の自然法の考え方が混じっている所もある。特に注意をしておきたいのは、先に述べたギリシャ時代の世界観【進歩は混沌に向かう】などの表現が少しも顔を出さない点である。我々の教育においては、現在の社会にとって価値のある情報しか伝えられないのである。また、我々の過去に対する価値判断も、我々現在の価値判断において行われるのであるから、過去に対する価値判断は流動的なものだとも言える。中国における毛沢東や孔子に対する評価は良い例である。ここで引用した先ほどの文章の中では「啓蒙的な役割」と「詭弁を用いて」とに、ポイントがあると思われる。確かにこれらの用語は間違ってはいないのだが、我々の脳内では、必然的に近代の啓蒙思想とギリシャ文化が結び付いて記憶され、「詭弁を用いて」という他の部分と比べて難解な言葉をあえて本文中に持ち込むことによって、2つの文化の違いを不鮮明にしてしまうのである。このようにして、ギリシャ時代と近代啓蒙主義の相似点を強調することにより、我々は段階的社会進化論を信じて、受け継いでゆくことになるのである。

 

 次に、中世・キリスト教の世界観を考えてみよう。中世ヨーロッパを支配していたのは、キリスト教の歴史観であり、それはこの世界を次の世界に備える為の単なる中間点として捉えていたにすぎない。キリスト教の世界観は、ギリシャの混沌の後に再び黄金時代が訪れるという循環回帰の思想を否定したが、歴史を堕落するものと見ていた点では、ギリシャ時代と同じである。

 キリスト教神学では、初め「創世」中頃「贖罪」終わり「最後の審判」に分けている。そいて、現代のように歴史を、直接的に進化するものではなく、歴史を神と悪魔との闘争として捉え、その中で悪魔により地上世界を崩壊と混沌をもたらせるものと考えていたのである。
 同様に、キリスト教では原罪によって、絶えず人生の巡り合わせを改善しようとする人間の可能性が排除されていた。実際、人間が歴史を作るなどという考え方はまったくなく、世界とは神によってがっちり秩序づけられた体系であったのである。キリスト教の神は、人格神であって、人生のあらゆる面で介在したのである。何か物事が起こっても起こらなくても、それは神の意志によるものであった。歴史を作ったのは神であって、人間ではなかったのである。 

 前進したい、あるいは何かを残したいとする個人の目標も希求も存在しなかった。忠実に遂行されるべきものとしては、神の命令しかなかった。歴史家のジョン・ランドルが言っているように、中世のキリスト教徒にとっては、「すべてのものは意味を持っているが、それはそれ自身の為ではなく、人間の精神的遍歴の為に意味を持つ」のである。また、いかなる行動にしても、その目的は「神の意図にかなったもの」でなければならない。

 キリスト教の世界観は統一され、かつ現実を取り巻く歴史図として描かれていた。こうした壮大な神学体系の中にあっては、個人に課されたのは秩序維持の為の義務と責任であって、社会を変化させる自由と権利ではなかったのである。ギリシャにおいてと同様に、進歩や物質的増進という考え方は、中世の歴史観には存在せぬことであり、人間の目的とは“ものを成し遂げる”ことではなく、”救いを求める“ことであった。社会は、この目的に沿った有機的存在、つまり、神の方向に向かう道徳的有機体と考えられ、その中に人間各人の果たす役割があるという協調性という側面があったのである。このような中世社会について、我々の教育ではどのような情報が与えられているのか、同じく見てみよう。中世の文化の中頃には、次のような文章が述べられている。「自然科学では、イスラム文化を通じてギリシャやアラブの自然科学に注目したイギリスのロジャー・ベーコン(Roger Bacon1214~1294)が種々の実験を行ったりしたが、スコラ哲学の世界観を克服することはできなかった」となっている。ここでわかることは”克服“という言葉で示されているように、現代の我々にとっては、中世は乗り越え、捨て去るべきものとして示される。更に、中世は”暗黒“という形容詞でしばしば情報が与えられるのである。これは、社会進化論に立てば、中世という定常系は、段階的に発展するという理論にそぐわないからであろうと推測される。

 

 さて、近代の世界観はどのようなものであろうか。

 近代になり、歴史というものの本質について重要な論議を残した人物に、ソルボンヌ大学のジャック・チェルゴー(1727~81フランスの政治学者・財政架・経済学者)がいる。彼はギリシャ時代や中世の歴史を否定してこう言った。「歴史は一直線に進み、歴史の各段階は、以前の段階よりも進歩している。」と、したのである。つまり、歴史は累積的であると同時に、前進的あるという考え方を示した。彼は、ギリシャの哲学者やローマ教会の神学者らとは違って、歴史を常に変化し動くものとして捉えた。しかも、その進歩は一様ではなく、時には停滞ないしは数歩退却するものの、歴史は常に前進し、完成の方向に向かうと信じたのである。いずれにしろカソリック進学の立場からみると、大胆極まりないものであった。だが彼の考え方の為に、ソルボンヌ大学の地位を解かれたり、協会側から論難されたりすることもなかったようであった。こういう点からして、チェルゴー1人が時代の先端を走っていたわけでないと思われる。 

 中世の象徴的な建物であるシャトルの大聖堂が出来たのは13世紀だが、この時期と1750年におけるチェルゴーの類まれな講義との間に、ヨーロッパの精神に根本的な変化が生じたわけである。そして、この変化こそ、近代世界観の目覚めであった。しかも、我々現代人が引き継いだのは、この進歩と成熟という世界観なのである。

 ところが、実に皮肉なことに、こうした歴史が織りなす模様がほつれ、ほころび始めた現在では、我々には近代世界観を形作ってきた基本姿勢を洞察することが、なかなかできなくなっているのである。近代の我々に受け継がれている世界観は後でゆっくり考える事にし、まず現代の世界を考えてみよう。現代の世界観は、特に我々日本人は唯物的であると言える。目で見、手で触れる事が出来るものが、我々の世界である。自動車、電車、ラジオ、ステレオ、テレビに代表されるものが我々の世界であると言えよう。休みの前日以外は朝何時に起きなければならないかが、人生の大きな問題である。そして、我々の周りの物質を増やし豊かになる為、少しでも多くの貨幣を得なければならない。幸福は物質的豊かさと同義であり、教育は単なる収入=豊かさの為の投資であり、その評価を行う偏差値は、将来の収入、又は、人生の豊かさとどうちに考えられている。このように、我々は幼少の頃から貨幣を獲得することを目標に生きているようである。女子大生は、自身の金銭的収入を最大にする為に、愛人バンク等で活動する。偏差値の低い子の中には親の金銭的権力を誇示する為に、バイクや自動車を少しでも目立つように走らせるのである。

 このような社会で最も尊ばれるのは能率である。経済学で「より高い能率は、より高い個人の利益をもたらし、そのような社会は、万民の幸福へと向かう。」と教えられるからである。この能率をより高める為に、機械が使われる。精密・スピード・正確という言葉が第一に尊ばれる。「どれだけ早く進むのか?」とか「そこへ行くにはどのくらい時間がかかるのか?」という問いを常に発し、しかもこの問題が永遠の大問題であるかのように信じ込んでいる。しかし、機械化時代に問題がないと言うのは、お世辞が過ぎるというものであろう。
 機械そのものが。もはや生活様式となっていて、我々の世界観は凝り固まってしまった感がある。正確さ、精密さという言葉に酔いしれ、この地上をそれ一辺倒で覆いつくしたいと望んでおり、歴史とは絶えず機械工学の練習を行うことを意味するようになってしまった。進歩という言葉は、機械の完成に合わせる言葉になってしまった。機械のプロセスをあらゆる生活面に拡大してゆく、これが現代の歴史的規範である。他人との関係は“シンクロナイゼーション(連動)”しているかによって”測定“する。連動しない人は。“ネクラ””堅物”“社交性欠如”とかいい、欠陥人間にされてしまう。【その後も“KY”とかいろいろありました”また、感情は、良いか悪いかという“反応”に変わってしまっている。我々は誰に対しても「善か悪か」を決めたがるようになった。この傾向は近年ますます加速しているようにも感じる。】このような現代の価値観は、近代から受け継いでいる。

次には、特に我々の価値観の成立についてまとめたい。


 (6)機械的世界観の成り立ち【唯一絶対の答えの必ずあると想定されている世界】

 それぞれの世界観には構築者がいる。現代の価値観の基礎となる機械的世界観の礎を築いた代表人物は、フランシス・ベーコン、ルネ・デカルト、そして、アイザック・ニューロンであろうと思われる。しかも400年後にいる我々は今なお彼らの影響を受けている。

 古代ギリシャの世界観を排斥し、機械体系の為の原理を打ち立てたのは、フランシス・ベーコン(1564-1621, イギリスの政治家、哲学者)である。1620年に刊行された彼の『ノーヴム・オルガヌム(新機関)』は、格好の宣伝材料であった。ベーコンは、プラトン、アリストテレス、それにホメロス等の著作を議論好きの学問として、あまり顧みなかった。ギリシャの哲学者は「口数ばかり多くて中身は空っぽだ。無駄な言葉ばかりはいて、何物も生み出さないのは子供同然だ。」だとした。ベーコンはギリシャの世界観をとくと分析し、「彼らの考え方は、主張が派手な割に人間の生活を豊かにし、利益をもたらすための実験をなんら行っていない。」と結論付けた。彼は自然を支配しようとし、物理的豊かさを求めていたのでこういう事を言ったのだと思われる。実はギリシャ人にとっては、学問は形而上学的な理由を問う事を意味していたのである。これに対してベーコンは、学問という科学は“方法”と結びついたものであるべきだと考えた。「人間生活には、新たな発見と潜在力が満ちていなくてはならない。今や、科学の真の目標は、その方法の法則化以外の何物でもない。」と人間の知性を礼賛してやまなかった。ベーコンは更に、世界を扱う為の新しい方法は整然としており、その方法とは「人間の能力により、あらゆる物事を達成できるまで無限に伸ばす事が出来る」ものだとした。そして、彼が提唱する新しい方法とは科学的方法論であり、観察するものと観察されるものを分け、“客観的知識の発展の為に中立的な立場を提供しようというものであった。ベーコンによれば、客観的知識があれば人間は、「自然界、例えば、医学や自然現象、その他すべてのことを支配することが出来る。」ということになる。

 

 ベーコンが新たな世界観への扉を開けたのに続いて、数学者でもあったルネ・デカルト(1596-1650,フランスの哲学者)は、新しい世界観のための基盤を樹立しようとしていた。そして、このデカルトに続いたのは、アイザック・ニュートン(1643-1727,イギリスの物理学者、天文学者、数学者)である。ベーコンが扉を開き、デカルトが土台を使ったとすれば、ニュートンは店を開業するのに必要な道具類を持ち込んできたと言えよう。

 デカルトはある時、世界を認識し、その隠れた秘密を解析し、それを支配するための鍵は、一つの言葉、すなわち“数学”の中に発見されるという考えが閃き、そして次のように結論したのだった。「私は率直に言って、数学はあらゆる物事の源泉として、人間の行為によって伝えられたいかなるものより、更に強力な知識の力であると確認した。デカルトは、自然のすべてを運動する単純な物質に置き換える事に成功した。彼はすべての質を量に変換し、重要なのは空間と場所だけであると公言した。そして、「私に延長(空間の広がり)と運動を与えてくれたなら、宇宙を作って見せよう」とまで宣言したのである。いわばデカルトの数学的世界観とは、無味無色、無臭で完全無欠なものをいう訳である。数学は完全な秩序を表わす。だからこそデカルトのような才知を持った人間なら、無秩序で混乱し絶えず変化しているように見えるこの世界から、数学的な方法論によって、あらゆる不純物を取り除くことが出来るとするのだろう。デカルトの世界では、あらゆるものはその場所を持ち、すべての関係は調和がとれた存在なのである。そして、世界が精密であるとされた

 混沌と堕落を繰り返すとされたギリシャの歴史観は、非数学的とされ、それゆえに偽りとみなされた。キリスト教の世界観もほとんど顧みられることはなかった。人格神たる神が絶えず人間世界に介入するなら、精密な自然秩序の働きを人間が知る由もないのである。もちろん、宇宙という劇場で、他の活動を行う前に前提計画を練り、それを動かした崇高な数学者に対し、最初は神も賛辞を贈る存在であった。だが、この新しい体系によってもたらされた力にその後の世代はますます浸り、それにつれて神はすっかりと忘れ去られてしまったのである。デカルトは人間に対し、世界に真理を究明し、その支配者になる事を許された存在としての保障を最初に与えた人間だと言える。

 

 次いでニュートンは、神に代わるのに必要な道具を提供した。機械的運動を説明するのに、数学的方法を発見したのがニュートンであり、彼はなぜ惑星は自分の赴く方向に向かうのか、そしてなぜ葉が同じ方向に向かうのかを説明するには、一つの法則をもってすれば足りると主張した。そして、自然のすべてを数学に従属させ、「自然におけるあらゆる現象はある種の力に依存し、それによって天体の微片が原因により相互に引き付けられ、整然とした形に凝縮し、あるいは反発しあって互いに離れる。」との見地に立った。

 ニュートンの3法則(慣性の法則、運動方程式、作用反作用の原理)によれば、「外側からの力(外力)が加わらない限り、静止した物体は静止したままであり、運動している物体は同じ速度で運動し続ける。また、物体に加速度が生じる場合、その大きさは加えられた外力に比例し、その方向は外力が作用する方向と同じである。しかも、あらゆる力にはそれと等しい力が、正反対の方向に働いている。」ということになる。このニュースはあっという間に行き渡った。ニュートンが1727年に没した時、国葬を持って栄誉を表されたのである。
 機械的世界観は、数学的測定が唯一の方法であることから、もっぱら運動している物質のみを扱っている。だがそれは機械の為に作られた世界観であって、人間の為に作られた世界観ではなかった。つまり、生活の質すべてを量という概念に置き換える事によって、この機械的体系は生命のない物体によって創られた冷たく息遣いのない世界であると言える。アルフレッド・ホワイトヘッド(1861-1947,イギリスの哲学者、数学者)が痛烈に批判したように、このニュートンの世界観は、無機物の運動を観察する時代から、初歩的な物質至上主義へと至るごく短い旅路の為に利用されたのである。

 確かにニュートンの機械的体系は動かしがたい物理的法則であるのは事実であり、単純明快で天体の運行を見るように将来の予測を正確に行う事にも長けている。だからこれが、長い間探し求めてきた“宇宙の本質を説明する法則”であるかのように信じられたのも無理からぬ話である。物事には秩序があって、この秩序は数学的公式と科学的観察によって確かめる事が出来るのであるから。しかし、ヨーロッパの学者やらが自らの周囲を改めて見渡してみると、ではなぜ社会や人間の活動がしばしば混乱するのかという点が疑問である。人間の不規則な行動、政府や経済の不規則な行動、これらはニュートンらにより整然と秩序だって説明した世界とあまりにも合致しないように見えたからである。だが、このジレンマは簡単に解決されるとされた。つまり、「もし社会が複雑で混乱したものであるなら、その原因は宇宙を支配する自然法則に忠実ではないからだ。」と、した訳である。その結果、必要な事は人間や社会制度が「自然法則」にいかにあっているかであり、またそれを応用する知識に人間がいかに長けるようになるか、只それだけだと考えられるようになったのである。後で詳しく述べるが、このことは、自由競争を信奉し、市場の不完全性を排除するという形で、経済学に現れるのである。

 

 人間は生活それ自体に、新たな目的を持つようになったと言える。つまり、来世に期待し救済を求める中世キリスト教の考え方は消え失せ、この世界の中で完全さを求めるという新たな考え方が出現したのである。ニュートンの示した方法に従えば、社会は無秩序で混乱した時代から秩序があり予測可能な状態へ徐々に進行していく━これが今や歴史の真の姿だ━と考えられるようになったのである。

 そして、この宇宙の法則と社会の働きについて、その関係を探し出そうとした人物がいた。ジョン・ロックとアダム・スミスである。ジョン・ロック(1632-1704,イギリスの哲学者、政治家)は、政府と社会の働きをニュートンの宇宙機械体系と同一線上に置き、また、アダム・スミス(1723-1790,イギリスの倫理学者、経済学者、古典派経済学の始祖)も、経済をロック同様の方法で扱った。

注:元の文章のままだが、、今の知識からすると的外れでないかも知れないが、正当な評価とは言えない。】

 

 ロックが深く印象図けられたのは、一見理解しがたい自然現象から機械的体系がどのようにして意味をくみ取ったかという点であった。この事はロックに限らず、当時の知識人が考えていた事である。そして、自然の法則が侵害されているのは、社会秩序が長い間この世界を支配してきた神中心主義による不合理な伝統や習慣に基づいてきたからだと結論したのである。そこでロックは、理性の力を借りて社会の自然基盤を決定しようと試みた。神は定義上”不可知“なのだから、宗教によって社会基盤を形成することは間違いだ、という結論に達した。不可知なものが、どうして社会基盤を支配する為の適切な基盤となるだろうか。そして、ロックは哲学の先駆者から離れて、宗教は各個人の関心事であることは当然としながらも、宗教は公的活動の基盤とはなりえないことを主張した。つまり、啓蒙思想の幕開けであるが、ベーコンが自然から神を追放したように、人間社会から神を追放したロックは見方を変えれば、人間を一人ぼっちの存在として取り残してしまったと言える。もはや、人間は聖なる方向に向かう役割から解放されたのである。男も女も自然から作られたものとし、ベーコン、デカルト、ニュートンが断じた如く、人間は冷厳なる機械的宇宙論に飲み込まれ、他の物質と相互に関連する単なる物理的存在でしかなくなったのである。このように神を捨て去ることは、神という形而上の存在を通して人類全体の利得も見ていたのだが、もはや見る事も出来なくなってしまったのである。

 それならば、いったい何を基盤にして社会秩序を形成するのであろうか。この事に関してロックは、「無用な習慣や伝統を排除しさえすれば、人間は自分自身の為にのみ努力をする存在なのだから、各個人の利益を増大し、財産を保護、増大することによって、個人の集合体である社会も豊かになる。これが社会の最終目的である。」と主張したのである。従って、ロックの図式によれば、自己の利益を純粋に追求し、これが自然秩序化への流れならば社会は秩序化されることになる。各個人は、自分の富を一生懸命蓄積さえすれば、社会の構成要因としての役割を果たすことになる。しかし、これが社会の秩序化の流れとするならば、社会はどんどん唯物主義的・個人主義的になってゆかなければならない。だが、これではあまりにも価値判断の基準が低く、彼の思想は単なる私利私欲の勧めと受け取られる危険性が極めて大きいと言えよう。

 

 こういった批判はともかく、ロックにとって政府の目的は、新たに発見された事前に対する支配力を活用し富を生産する自由を国民に与える事であった。しかし、エントロピーを考えに入れると、ここでの富は、

「原材料+有益なエネルギー=富+廃エネルギー+廃物」であることに注意が必要である。かくしてロックは現代にいたるまで、国家の役割とは物理的繁栄を実現する為に、自然の征服をさらに推進するという考え方を作ったのである。ロックは、「自然を否定することは、幸福につながる。人々は自然の束縛から効果的に脱却しなければならない。」と、言っている。しかし、個人の利益を求めて終始あがくことは各個人間に野蛮な争いをもたらし、その結果、社会の構成者たる他の人間に犠牲を強いることにならないだろうか。ロックに言わせれば、決してそんなことにはならない。人間は本来、あくまでも堕落した存在でもなく、生まれながらにして善なのだ、というのがその理由である。だから人間を悪にするのは、富が不足したり、欠如したりしている場合だけだとなる。人間は本来生まれながらにして物質欲があるが、社会全体の富が増加すれば問題はなくなり、社会の調和が改善され人間同士で戦う必要のない社会が到来すると、彼は言った。なぜなら「自然は十分に恵み深く、更に開発されるべき余力をうんと残している。」という観点に立つからである。しかもこのような利益は他者の利益と対立しないのだから、人間は自由に行動できるのであるとする。要するにこうした考え方を取ったロックは、無限の発展と物質的豊かさを礼賛した哲学者と言える。

 

 しかし、アリストテレスからトマス・アクティス(1224-1274,イタリア中世の哲学者、神学者)に至る哲学者は、富はある限界を超えると幸福の妨げになると主張している。だがロックは、技術の未開な原始社会にあってはそうかもしれないが、理性的な近代国家にあっては交換手段の為に貨幣があり、これにより無限の富を蓄積することが可能だとロックは見なすのである。確かに、その為に貨幣は存在する。しかし、貨幣をため込んで我々は何を得るのか。又いくら貨幣が腐ることがないと言っても、だれもが巨万の富をため込むのは出来ない相談だ、当然他と比べて多くの富を蓄積する人間が出てくる。この現象に対してもごく自然の事だとロックは見なすのである。なぜなら「世界は勤勉で合理的な精神の持ち主の為に存在するのであり、理性を最高度に用いる人間が最大限の利益を引き出しても当然。」とするからである。”1個人の努力が増えれば増えるほど社会全体の利益は一層高まる“とする初期の自由主義理論を用いながら、なおもロックは主張する「人間は自分の満足いくだけ金・銀などの普遍的な価値を持つ物質をため込むべきだ。」と。だが、今日的な目でこういった主張に満ちたロックの著作を読んでみると、地球の川と言う川がダムでせき止められ、自然の景観がみな広告で埋め尽くされ、あらゆる山が切り崩されても人間は満足しないのだ、と説かれているようで気が滅入ってしまわざるを得ない。ロックがどれほど生産主義的・唯物主義的であったかは、彼のアメリカインディアンに対する評価に良く示されている。「そこでは広大で潤沢な土地の王様が食料と住居をまかなってくれる。そこでは王様ですらイギリスの日雇い労働者よりみすぼらしい身なりをしているのだ。」

 

 ロックとともに近代の人間の運命は決まったと言っても過言ではない。啓蒙期以来、個人は生産と消費という享楽的な活動に翻弄され、人生の意味や目的を模索する暇もなくなった。人間の欲求と渇望、夢と希望は、すべて物質的利己主義の追及に明け暮れるよう、決定的に方向づけられたのである。

 ロックと同様に、機械的世界観にほれ込んだのはアダム・スミスである。彼は、ニュートン体系の一般概念を反映するような形での経済理論を打ち立てようとした。スミスは国富論の中で、自然法則に従って運動する天体と同じように、経済も同様の行為を示すと、述べている。もし、これらの法則に社会が従えば、飛躍的な経済発展が望めるのである。そいて、政府の統制や経済的制約はこうした普遍の法則を侵害し、経済活動を不自然な方向へ向かわせ、その結果急速に市場は拡大せず、生産は低下すると述べる。換言すれば、社会の各種の試みは”自然な“経済の持つ活力を奪うものであり、逆効果になるというものである。そして、スミスにとって最も効率的な方法とは、自由放任主義であったのであり、現象をそのまま放っておき、人間の行動を何物も阻害しないようにすることだとしたのである。ロックと同じようにスミスもまた、人間活動のすべての基盤は、物質的欲望の満足であるとした。これが自然である以上、だれにとっても利益をもたらす効率的な活動こそ最良の方法とする認識の上に立ち、不足が余剰によって克服される為には、個人個人が利己的に活動すべきであると主張した。

「各個人は、常に自らが支配できるいかなる資本に対しても、最大限有利な雇用を見出だしている。これはまさしく個人の利益であって、その個人が属する社会の利益でない。しかし、自己の利益を追い求める事は、徒然のごとくあるいは必然的に、社会にとって最も有利な雇用をもたらす事につながる。(アダム・スミスの「国富論より」)

 

 経済においては、市場均衡によって達成される“見えざる手”の作用こそ、経済過程を支配する自然の法則で、自動的に資本投資、仕事、資源そして物質の生産を配分する存在だという。人間は理性の力で理解することは出来ても「引力の法則」を支配できないのと同じように、この“見えざる手”を改善することはできないとした。

 ベーコン、ロック、デカルト、ニュートン、スミスらは、機械的世界観を広めた人たちである。彼らの他にも先駆者はいたし、後継者もいるが、重要な事はカラらの考え方が今日なお我々の中に強く残されているという事である。

 特に、スミスの流れを受け継いだ経済学においては、合理的期待学派、サプライ・サイド経済学、そして、ケインズ学派までも、根本はこの均衡的価格競争モデルに頼っているのである、ということを「デインジャラス・カレンツ」で、レスター・C・サロー(1938~、経済学者)は述べている。【でも実は均衡的価格競争がスミスによって提唱されたかどうかは実は怪しい(参考)


  この機械的世界観を要約すると、“宇宙には正確な機械秩序があり、これは天体の運動を調べる事によって推論される。だが、残念ながらこの地球上では、大部分のものが混乱しており混沌とした状態にある。それゆえ、この世界に秩序をもたらすべく、自然法則に合わせて再調整をしなければならない”ということになる。そして、その為には”力学の科学的原理を応用し、自然を解明、これを利用し、人間の物質的利己心を最大限に発展させれば良い“ということになる。この壮大な体系を理論的に突き詰めてゆけば、「物質的繁栄を積み重ねれば、この世界により良い秩序がもたらせる。」ということになる。彼らはより多くの物質的豊かさを追求する事を進歩とし、それによってさらに秩序に満ちた世界が到来すると考えた。科学や技術はこれを推進するための道具であり、これこそ機械的世界観の主たる原動力としたのである。

 

 機械的世界観に当時から批判がなかったわけではない。各方面から様々冷笑され、攻撃され、打ちのめされもした。その為、修正を余儀なくされたこともある。とはいえ、ロック、デカルト、あるいはスミスの著作を読み返してみると、今なお現代的な響きを持っていることに驚かざるを得ないのである。要するに、我々が借りているのは、デカルト、ロック、スミスの方法論とアイデアなのである。

 一方で機械的世界観が自然観として定着したのは、1859年に出版されたチャールズ・ダーウィンの「種の起源」に負うところが多い。これにより、種の進化論を社会進化論の拠り所としたのが、ハーバード・スペンサー(1820-1903、イギリスの哲学者、社会学者)であった。「ダーウィンの理論そのものは、客観的で正確な自然観察の上に組み立てられたものであり、社会や文化の影響から独立したものである。」というのが長年の意見であった。ダーウィンは自然の法則を発見しただけであり、社会が政治的にその考えを移用してきただけだと、いうことになる。しかし、近年この事に対して疑問が出始めた。コネチカット大学の歴史学者ジョン・C・グリーンは、「ダーウィンは他の科学者と同じように、当時の社会のイメージで自然を分析した。」と言っている。これは当然のことのように思われる。社会が我々の脳内のニューロンの接合の状態の反映であるなら、その周りの自然をも社会と同一のイメージで分析するのは当然であり、これは太古の昔から人類がやってきて事である。さらに、「英国の正政治経済は、競争に最も強いものが生き残るというものであった。イギリス人の競争気質と合わせて考えると、ダーウィンが植物の観察、理論化する場合にも競争・闘争と言った観念で捉えたとしても不思議でない。」という意見に、生物学者アレキサンダー・サンドゥも賛意を示している。産業革命時代の闘争精神はダーウィンの中にも大いに影響をした。そして滑りの良いボール・ベアリングのように、ダーウィンの世界観も当時の社会にピッタリと適合したのである。「ダーウィン伝」を著したジェフリー・ウエストは、「ダーウィンは機械化時代に機械的な生物社会の観念を確立したのである。人間社会の戦いを動植物の戦いに置き換えて見せた。私有財産相続性の社会において、生き残るために一番大切なものは占有と遺伝であると述べた。」と言っている。

 

 ダーウィンの残した多くのメモや日記本などを調べてみると、研究者は間違いなく一つの結果に行き着く。ダーウィンは自然の中に英国社会を感じ、イギリス人の欲望や行動と同じものを感じ、自由競争の原理を感じたのである。ダーウィンは当時の社会の中からいくつかのイメージを取り出し、それを自然に当てはめた。そして、日常生活に酷似した新しい自然論を作り上げてきたのである。

 自然の運動メカニズムを解明するヒントとして、ダーウィンは人間が自然を組織する方法を観察した。農業技術の進歩への着目がその最初のきっかけであった。彼は二つの問題に着目していた。一つは人工交配により多くの変種が生じる事、もう一つは種の中でも特別に優れたものは人間が特別に扱い、代々その性質を伝える事が出来るという事であった。ダーウィンは種のタイプによる選択によって変わる以上、こういう変化を起こす法則があるはずであり、それを発見できれば自然界の深化を解明する手掛かりとなるのではないかと考えたのである。 

 残念ながら、二つの難関が待ち構えていた。一つは、家畜においてある種から無数の変種を作り出す事は出来るが、全く新しい種が発生したことはない。つまり、牛から牛以外のものを作り出した人はいないという事である。この事実はダーウィン自身認めなければならなかった。ところがダーウィンは、「人間の品種改良能力には限界があると嘆く一方で、長い時間をかければそうでないかも知れない。」と考えた。

ダーウィンがぶつかったもう一つの問題は、誰があるいは何が淘汰を行い、子孫を残す個とそうでない個をわけるのか、という点であった。これに対してダーウィンは、畜産家が育種において新しい特性を選び出すように、自然の中でもこれ似たメカニズムが働くと仮定した。「自然界における淘汰は、人間の人工交配等よりもはるかに正確なはずである。自然界の生物というものは、果たしなく複雑で厳しい条件に順応しなければならないのだから」(『種の起源』より)

しかし、まだ最後に問題が残っていた自然淘汰のメカニズムそのものは何か、またどんな特性が残るのか、と言う問題であった。

この答えをダーウィンは、

193810月、たまたまマルサスの『人口論』を読んでいるときにこの答えがパッと頭に閃いたのである。この理論こそが、私がたものであった。」と自伝の中で書いている。

 

 トーマス・マルサス(19661834)は、1798年に『人口論』を出版した。「世の中には飢え死にするものがあふれ、労働者は職を求めて村を捨て町に押し寄せていた。貧困者は日に日に増えるばかりであった。」マルサスは社会の状況を憂慮していた。彼のこういう懸念が、かの有名な人口と資源の関係に関する法則になったのである。

 マルサスは、「食糧生産の増加は算術級数的だが、人口増加は幾何級数的である。」と論じた。人口の増加に対し、食糧の増加は追いつかないという事である。こういう慢性的な食糧不足を緩和する為に、飢えや貧困、悪や犯罪、疫病や飢饉、革命や戦争と言った種々の過酷な社会状況が生じ人口調整が行われる。つまり、生存競争という自然の法則により勝者は勝ち、弱者は滅びる宿命にあるという学説を展開したのだった。彼は空腹を避ける為に、人間は能力を精一杯使って進歩してきたのだと考えたのである。この既に人々が抱いていた考え方は、マルサスによって具体的、理論的表現を得て社会に定着したのである。当時のブルジョア階級は、自由放任主義の本来的な優位を信じ、その信念のバックボーンとなる理論を求めていた。そこへマルサスが確固とした法則を与えた訳である。

 

 ダーウィンは、間髪を入れずこの理論に飛びついた。のちにバートランド・ラッセルも指摘したように、「ダーウィンは本質的には自由放任主義経済とマルサスの『人口論』で、動物・植物界を説明した。」のである。つまり彼はこのようにして、プラトン、トマス・アクィナス、その他偉大な自然哲学者と並ぶ地位を歴史上に築いたのであった。さらにダーウィンは、自然における交尾が行き当たりばったりに行われているにも拘わらず“生き延びて自然に残りもの”と“滅びるもの”との間には、何か法則があるのではないかと考えた。そして閃いたものが、

「自然界では、環境に適応できる生物だけが生存競争に勝ち、その子孫を増やしてゆく」という有名な進化論の基本概念であった。だがこれは、マルサスが洞察した事実を生物界に応用したものに過ぎない。実際、自由放任主義の当時のイギリス社会にあって、同様のことはすでに、経済人の常識となっていた。それは、「厳しい産業界を生き抜くことが出来るのは、適者だけであり、優勝劣敗の法則は厳然として働く」というものであり、ダーウィンの進化論もこういった人間や社会観察に基づくものに外ならなかったのである。 

 どの時代にも時代を象徴する言葉があるが、ビクトリア朝においては、「進歩」という言葉であった。「自然淘汰」と「改良」について、ダーウィンは次のように考えた。

「種が自然淘汰へと向かう11歩が種全体の生存条件の改良につながる。私の考えでは、改良というものは各生物の器官の文化が進行し、また、それぞれの機能の性能も良くなることである。しかも、このような各種の改良に伴って、これらの生物の環境適応力が強くなると、その種属は当然反映することとなる。すると、今度は他の生物も進化せずにいられない。さもないと、自分達は滅びてしまいかねないからである。こうした進歩の過程は無限に続くものと思われる。」

 

 だが、この進歩の過程が無限に続くという考え方を最初に発表したのは、実はフランスのコンドルセ伯爵であった。それ以来、無限の進歩と改良と言う考え方は、産業社会の理念として長く信奉された。ダーウィンもこの理念と同じ力が働いていると考えたのである。

 過去20年間にわたって、大勢の科学史家により、ダーウィンや彼の理論に影響を与えた思想や人間などについて、いろいろな見直しが行われている。その中の一人として、マルサス同様忘れてならないのが、アダム・スミスである。スミスとダーウィンの理論を比べてみれば、ダーウィンが1776年の「国富論」の考え方に示唆を受けた点がいかに多いか良く分かる。進化と種の変異に関するダーウィンの考え方にまず大きな刺激を与えたのは、スミスの労働分業論であった。分業制を正しく利用すれば、生産高を大いに上げる事が出来るというのである。この理論は、産業の未成熟な経済社会において既に一部実証されていた事実を学問的に整理したものである。すなわち、一つの製品を始めから終わりまで一人の職人が作る代わりに、新しい産業制度では、各労働者が生産各過程をそれぞれ受け持つようになったのである。この産業構造の変化は、やがて自然に対する人間自身の考え方を変えてゆく。この経済の変化を生物界の変化にも当てはめたのが、ダーウィンであった。更に生存競争は一見残酷で無秩序に見えるが、全体としては進化に向かうのだとダーウィンは言うが、これも経済市場における均衡的価格競争売買のモデルを取り入れたものだと言ってよい。この均衡的価格競争売買モデルにおいては、「神の見えざる手」によって、時には事業家を没落させるが、それでも良いのだとスミスは言う、というのも、この経済システムは敗者の存在がある者の利益となり、しかも最終的には最適の資源配分を行うというものである。そして、ダーウィンは、何かそれに似た法則が自然界においても働き、栄える者と滅びる者とのバランスを取っているはずだと考えたのであった。

 

 このように、自然淘汰に任せておけば、すべては進歩すると考えたダーウィンは、人種における優劣の差というものに関心を持ち、いつしか劣種が自然淘汰されると信じた。それは、彼の従兄のフランシス・ゴールトンが唱えた優生学論を支持した事でも明らかである。ダーウィンは、1871年に著した「人間の由来」の中で、「文明社会における弱者たちは劣性種の子孫を蔓延させている。家畜の飼育に従事した人なら誰でも、劣種をはびこらせる必要はないというだろう。家畜の場合は、世話をしなかったり世話の仕方が悪かったりすると、瞬く間に使い物にならなくなる。使い物にならない動物を飼育するものなどどこにもいない。だが、人間の場合だけは例外なのだろうか」と、述べている。

 そして、これらの進歩や労働の分業と共に広まったのが個人主義であり、これについては先に述べた。また、ブルジョワ階級の貧困者への態度は、冷淡さと無関心そのものであった。自然の法則に任せておけば社会に適応しないものは自然に落ちこぼれ、淘汰されてゆく。その結果、社会には適者だけが繁栄して健康な社会になるものと信じられた。ダーウィンは、このような社会で生活していた。だから、自然の働きに関する彼の理論の中に、このような主張が入り込んだ。そして、「種の起源」発表後は逆にこれが、ブルジョワ階級のサロンクラブで話題になるのであった。進化論の信奉者たちは、法律改正などせずに、自然に任せ、試行錯誤を繰り返してゆけば、「自然淘汰」と「見えざる手」によって社会は徐々に改善されてゆくのだと信じたのである。

 

 ダーウィンの理論は、資本主義の広まりと共に広がっていった。産業革命の幕を開けた工場や町の人々は、自分たちの活動が自然の大法則と同じであり、経済活動による利益の追求が幸せをもたらすという理論によって大いに安心したのである。歴史家のジョン・ウエストは、

「あらゆる人間がダーウィンの理論に飛びついた。自分たちの行動を支えるものとして使おうと思ったからだ。ニーチェとマルクスに始まり、貴族主義者、民主主義者、個人主義者、社会主義者、軍国主義者、そして唯物論者までが進化論を歓迎したのであった。」と、言っている。マルクスは早々に自分たちの思想の根拠とし、進化論を取り入れた。マルクスは、ダーウィンの著作こそ、「歴史的階級闘争の自然科学的証拠」として考えた。マルクスがダーウィンの主張の中で特に評価したのは次の2点であった。ひとつは、「努めて客観的に生物の姿を見つめようとした点」である。そして。歴史性を科学の中に取り入れ、「自然科学につきものの抽象的な唯物主義に挑戦した」ことが二つ目である。マルクスの葬式の時に挨拶に立ったエンゲルスは、「ダーウィンが生物界で進化の法則を発見したように、マルクスも歴史における進化の法則を発見した。」と言い切ったのである。もっともこの二人は、生存競争は階級制度のない社会は到来した暁にはなくなるだろう、と主張している。特にエンゲルスは1875年に友人に宛てて、

「生存競争に関するダーウィンの教義は、ホッブスの主張を移し替えて、その上、競争というブルジョワ経済の原理とマルサスの人口論を添えたものにすぎないと、私は思う。そして、ダーウィンという魔術師が手品を行うと、人々はそれをもう一度、今度は生物から歴史に移し替えて、人間の半永久的な法則の正当性が証明された、と騒いでいるだけなのである。」と書いているが、公の席では口をつぐんだままであった。ガートルード・ヒンメルファーヴも進化論の社会的役割を研究し、これは「産業革命時代の政治的な主軸を果たした。」と述べている。ダーウィン説は、「慣習、倫理、宗教よりも、競争と権力と力を重視した。だからダーウィニズムが国家主義、帝国主義、独裁主義、更には英雄や超人待望論にまで迎えいれられた。」という訳である。

 このように、ベーコン、デカルト、更にはダーウィン、アダム・スミスらによって機械的世界を更に推進していったのである。そして進歩とは、自然が原初的な状態であった時点で持っていたものよりも、更に価値を生み出すように自然界を操作する方法だということになる。


  次に、このように述べられた近代の価値観の成立されたものが、我々の教育の中【1980年頃の高校】でどのような情報として与えられているのかをみておきたい。先に上げた教科書には「4章 1718世紀のヨーロッパ文化として、「美術と大学」「自然科学の発達」「近代思想の発生」「啓蒙思想の普及」とある所から、関連した部分を書き抜いてみた。

 

自然科学の発達  

「近代自然科学の基礎を築いたのはイギリスのニュートンで万有引力の法則をはじめ数々の業績を残した。『プリンシピア』は、彼の力学を体系的にまとめた不朽の著作である。………自然主義の発達と応用は資本主義の発達と結びついて、やがて産業革命を起こす原動力となった。」

 

 近代思想の発生

「自然科学の発達は、合理的な考え方を発達させた。イギリスのフランシス・ベーコンは観察と実験が唯一の正しい方法であるとし(帰納法)、イギリスの経験論の先駆者となった。これに対してフランスのデカルトは、「我思う、ゆえに我あり」の言葉で知られるように、人間の理性によって真理を認識しようとし、定理から定理を追って進む数学的な証明法(演繹法)によって合理主義を築き『方法叙説』を著した。彼はこのような方法によって神の存在を見つけたが、その他、オランダのスピノサ…………等も新しい自然観の上に立って、キリスト教と合理的な考え方を一致させようと努めた。

 自然科学や哲学を通じて発達してきた合理的な考え方は、政治思想にも大きな響を与えた。1617世紀には絶対主義の隆盛を反映して王権神授説が盛んで、フランスのボシュエ(Bossuet 1627~1704)らが出たが、これを批判するものとして起こったのが、自然法の思想であった。自然法とは、人間の社会のうえで実際に行われている法律の上に、自然あるいは神によって秩序づけられた自然の法則があると考えるもので、この時代になると、自然の法則にかなう社会の建設を要求するものになった。『自然法の父』と言われるオランダのグロチウスは‥‥‥‥‥‥‥一方、社会的発展の最も進んでいたイギリスでは、自然法に基づく社会契約説が発達した。ホッブス(Hobbs 1588~1679)はその著『リバイアサン』の中で、人々は「万人の万人に対する闘争」を避ける為、契約によって国家を成立させたとし、個人は自然権を主権者に譲渡したのであるから、主権者に服するのは当然であると説いた。この思想は近代的な立場から出ていたが、結果的には、王政復古後のスチュアート王朝の絶対主義を擁護する理論になった。一方、同じ自然法の思想から出発したロック(Locke 1632~1704)は、その著『政府二論』の中で、個人は契約によって自然権を主権者に委ねたとはいえ、主権者が個人の権利を侵すならば、主権者を取り換える事が出来ると論じ、名誉革命を理論的に弁護した。この思想はフランスの啓蒙思想に受け継がれたが、特にアメリカの独立革命に大きな影響を与えた。」

 

 啓蒙思想の普及

18世紀にはいるとフランスを中心として啓蒙思想が盛んになった。啓蒙思想とは、経験に基づく合理的な考え方によって、人間や自然を分析し、理性を尊重し手不合理な伝統や権威を強く批判するもので、イギリスのロックの経験論や政治思想、あるいはニュートンの力学上の方法論などの影響を受けて発達し、成長しつつあった市民階級の理念となった。

啓蒙思想はボルテールに始まった。……………モンテスキュー(1689~1755)は、貴族の立場からではあったが、『法の精神』を著して三権分立の必要を説き、イギリスの議会制度を模範とした。ルソーは『人間不平等起源論』で、不平等の法が確立される経過を述べ、原始状態に存在したと考えられる自然権の回復を主張し、また『社会契約論(民約論)』では、主権在民を説いて人々に大きな影響を与えた。…………」

 

次に2章 イギリスの産業革命においては、

 新しい経済思想

「産業革命が始まると経済思想のうえでも新しい考え方が生み出された。イギリスのアダム・スミスは重農主義の狭い見解を打破し、『諸国民の富(国富論) Wealth of Nations(1776)』の中で、富の源泉を人間の労働一般に求め、労働の生産力が分業によって高められること、個人の自由な経済活動が公共の福祉を増進させることを説き、重商主義を批判して、自由放任主義・」自由貿易主義を強調した。この学説はマルサスやリカード(1772~1823)等によって継承され、古典派経済学(正統派経済学)として、イギリスの経済学の根本的な理念になった。

()マルサスは『人口の原理』(1798)の中で、貧困の原因は人口の増大であると説き、リカードは『経済学及び課税の原理』(1817)を著し、スミスの理論を掘り下げ、商品の価値の大きさはその生産に投下された労働量によって決定されると論じ、古典派経済学を大成した。

 

8部 186070年代の第4章 

 諸科学と自然文学の発達(再掲)

18世紀に基礎を確立した近代自然科学は、その後、産業革命を経過した資本主義の発達に伴い、19世紀の中頃から目覚ましく進歩した。19世紀における自然科学の3大業績は、物理学でのエネルギー保存の法則の発見(1847年)、生物学での進化論及び生物体細胞説の確立であると言われている。エネルギー保存の法則は、ドイツのマイヤー(Mayer,1814~1878)の着想をヘルムホルツ(helmholz,1821~1894)が受け継いだもので、自然現象をすべてエネルギーの形態の変化したものとして捉え、蒸気機関の効率を高める熱力学の基礎となった。…‥(中略)……自然科学の領域を超えて社会思想にも大きな影響を呼び起こしたのは。生物学での進化論の確立である。人類進化の思想は19世紀初めころから起こっていたが。イギリスのダーウィン(Darwin,1809~1882)が「種の起源」を著し、生物は生存競争・自然淘汰によって適者のみが生存すると説いた事は人々を驚かせた。彼の説は、自然を固定的なものとしていた従来の世界観を根本的に変化させたが、特にイギリスのハーバート=スペンサー(Herbert Spencer)の社会進化論はイギリスやアメリカの思想に大きな影響を与えた。……(中略)……このように自然科学と技術の発達は、人類の物質文明を大きく前進させたが、他方では火薬のように戦争技術の発達を促し、人類の不幸をもたらした面もあった。」

更に次のような事も教科書には記載されている。

 

 人文科学・自然科学の発達

「自然科学の発達に影響をされて、人文科学や社会科学にも、物事を現実に即して科学的に追求しようとする見方が現れた」

とある。教育課程においてこのように、ここで述べてきた事が思っていたより教科書にはっきり書かれて、我々自身に気付かずにインプットされて来たことは少々驚きであった。これらの内容は、受験戦争においてほぼ丸暗記してきたのであるから、少々恐ろしい、例えば何が本当に合理的なのか、これらは実際にはその時々の価値観で規定されるのである。

 

 以上のように、ニュートン、ベーコンの帰納法、デカルトの演繹法、そしてロックの思想の強い影響力がはっきりと示されているし、自然の法則にかなう社会の建設を要求するようになった、とはっきりと我々が学んで来た教科書には書かれているのである。そして、これはどうも内在的に現代まで続いているようである。

 また、一見、教科書においては自然を尊重しているようであるが、結局は人間が作り出した自然法という価値観を、自然に、そして人間社会に押し付けているのだと言えよう。そして、このようなやり方は、現代社会における汚染、資源の制約等に対して必ずしもうまく行ってないようである。 

 以下は、産業革命、そしてそれをベースとした我々の社会について考えてゆきたい。

(前篇終わり) 



≪参考文献≫

『エントロピーの法則

             21世紀の文明観の基礎』

ジェレミー・リフキン著 竹内均 訳

祥伝社 198211

 

『エントロピーの法則Ⅱ ALGENY

             21世紀文明の生存原理』

ジェレミー・リフキン著 竹内均 訳

祥伝社 198311

 

『デンジャラス・カレンツ』 流砂の上の現代経済

  レスター.C.サロー著 佐藤隆三編集 1983年1月 東洋経済新聞社

 

高校の世界史教科書(三省堂 3訂版 1979年当時)