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現代語訳 「論語と算盤」 渋沢栄一著 守屋純一訳

 少し前にNHKの大河ドラマでも取り上げられ、ドラッカーも「マネジメント」にて渋沢栄一を評価している「渋沢栄一」。

今回は、とりあえず上記の書物のさわりだけ紹介をしておきたいと思います。ただ問題としては「論語」が現代の日本では遠くなり、「論語」自体を学習し理解する機会があまりないことです。一方で興味深いのは、明治時代に既に現代とまったく同じような内容が指摘されていることです。この部分も一部紹介をしています。


 参考)現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一著 守屋純一訳 (株)筑摩書房発行 2010年2月

 

第一章 処世と信条

「私は常々モノの豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうというくらいの気概がなければ、進展していかないものだと考えている。空虚な理論に走ったり、中味のない繁栄をよしとするような国民では、本当の成長とは無関係に終わってしまうのだ。

 だからこそ、政界や軍部が大きな顔をしないで、実業界がなるべく力を持つようにしたいと我々は希望している。実業とは多くの人にモノが行き渡るようにするなりわいなのだ。これが完全でないと国の富の形にならない。国の富をなす根源はなにかと言えば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性なのだ。そうでなければ、その富は完全に永続することが出来ない。

 ここにおいて『論語』と算盤(そろばん)というかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えているのである。」(P14~15)

「人の世の中で自立をしてゆく為には武士のような精神が必要であることはいうまでもない。」

「やはり『論語』がもっとも「士魂」養成の根底になるものだと思う」

「道徳を扱った書物と「商才」とは何の関係もないようであるけども、「商才」というものも、もともと道徳を根底としている。不道徳や嘘、外面ばかりで中身のない「商才」など決して本当の「商才」ではない。そんなのはせいぜいつまらない才能や頭がちょっと回る程度でしかないのだ。このように「商才」と道徳がとが離れられないものだとすれば、道徳の書である『論語』によって「商才」も養える訳である。」(P16~17)

「『論語』には、おのれを修めて、人と交わる為の日常の教えが説いてある。『論語』はもっとも欠点の少ない教訓であるが、この『論語』で商売が出来ないかと考えた。そして私は『論語』の教訓に従って商売し、経済活動をしてゆくことが出来ると思い至ったのである。」(P21)


第四章 仁義と富貴

「経済と道徳を一致させるべく、常に「論語と算盤の調和が大事なのだよ」と判り易く説明して、一般の人々が簡単に注意を怠ることがないように導いている。」(P97)

 

第七章 算盤と権利

「資本家は『思いやりの道』によって労働者と向き合い、労働者もまた『思いやりの道』によって労働者と向き合い、両者の関わる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っていることを悟るべきなのだ。そして、お互いに相手を思いやる気持ちを持ち続ける心があってこそ、初めて本当の調和が実現できるのである。」(P154)

 

第八章 実業と士業

「・武士道とは実業道だ」(P165)

「この武士道に関して、私がとても残念に思う事がある。それは武士道が、‥‥‥‥経済活動に従事する商工業者の間では、重んじられなかったことである。」(P166)

「商工業者に道徳はいらないなどということは、とんでもない間違いだったのである。」(P166)

「しかし今日は、明治維新から早や半世紀になろうとしている。しかも、東洋の盟主や世界の一等国だと自負している今の日本で、いつまで欧米心酔の夢を見ているのだろう。いつまで自国軽蔑という見識のなさを続けるつもりなのだろう。実に意気地のない話である。」(P170)

「世の中の人はどうかすると、明治維新以降の商業道徳は文明の進歩に肩を並べられず、かえって退化してしまったという。‥‥‥‥私は今日の方が昔よりはるかに優れていると断言できるのだ。」(P173)

「日本人は君主に忠実で、国を愛する気持ちに富んだ国民として称賛されている。その一方で、個人の間での約束を尊重しないという批判を受けている。要するに、その国独自の習慣がそうさせているのだ。」(P175)

「欧米から入ってくる新しい文明は、日本の商工業者に道徳や人の踏むべき道がないのをいいことに、皆利益追求の科学にばかり向かわせている。その結果、悪風はいよいよ助長されることになったのだ。

 欧米でも倫理の学問が盛んである。品性を磨き上げよという主張も盛んにおこなわれている。しかし、その出発点は宗教なのだ。この点、日本人の心情と一致しがたい面があった。」(P178)

 


第九章 教育と情誼

「今の教育は知識を身につける事を重視した結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、更に中学や大学に進んでますますたくさんの知識を積むようになった。ところが精神を磨くことをなおざりにして、心の学問に尽くさないから、品性の面で青年たちに問題がでるようになってしまった。」(P193)

「一方で学生の気風を見ると、昔の青年の気風と違って、いまひとつ勇気と努力、そして自覚が欠けている。‥‥‥‥科目の習得ばかりに追われ‥‥‥‥人格や常識を身につける努力など出来ないのは自然の流れだろう。」(P198)

「『上に立つ人間と、下の人間がともに利益追求に走ってしまえば、国は危うくなる。』という状態に陥ってしまいかねない。‥‥‥‥私にとっては身近な実務教育においても、知育と徳育とを一緒に行っていきたいと及ばずながら長年努力をしている次第である。」(P200)